目覚める。食事を運ばれる。身体を拭かれ、傷の手当てをされる。食事。眠る。また食事。眠る。
時折、寝具を干したり、部屋の掃除をしたり。
長くて鬱陶しい、といちいち罵られながら、髪を拭かれることもあった。
些細なことで、一触即発の空気に変わる。
落ち着いて眠れない夜も数知れなかった。
それでも、そんな日々を、これが今自分に与えられた生活だと享受して、ノブナガは過ごしてきた。
やがて、少し歩いたりするくらいのことは容易にできるくらいに、回復していた。
そしてその時、ノブナガはある、恐ろしいことに気がついたのだった。
―――回復したにも関わらず、自分がこの山小屋を出て行こうとしていないことに。
その事に気付き、ノブナガは激しい葛藤にかられ、苦悩した。
冗談じゃねえ、情にほだされてどうする、ようやくここまで回復できたんだ、
あいつの寝首を掻けてやれるくらいに。それを―――
―――
恩に報いるのは、性に合わねえ。
ノブナガは決心した。
こんなことに気付いてしまっては、もうここにはいられない。
自分は何のために生きようと決心したのか、それを思い出せ。
少なくとも、天国のウボォーに顔向けできないままではいられないのだ。
復讐に生きた罰を受けよ
そして、夕食の時間になった。
鍋の中身はシチューだったりスープだったり様々だった。
ノブナガがある程度まともに食事ができると分かってからは、
肉を焼いて出されることもあったし、麓の村から調達してきたらしいパンが出ることもあった。
今日の食事は、奇しくも初日と同じ味付けのシチューであった。
今日は個人的な仕事が忙しく、他の食料を調達してくることはできなかったと、
それとなく謝罪のいろを滲ませて言われ、ノブナガは、十分だ、と言った。
「…今日は随分遅くなってしまった」
疲れた溜息混じりに、クラピカは言った。
いつの間にか、必要最低限、とは言えぬ会話も交わされるようになっていた。
「…食事は?」
「まだだ。暇がなくてな」
「だったら今日くらいは食ってきゃいいじゃねーか。元々、てめえの作ったもんなんだし」
食器だって、なにも一人分しかねえわけじゃねーだろ。
そう言うノブナガに、クラピカは思案顔になったが、
やがて、そうだな、と無表情に頷き、食器を取りに行った。
「…身体の調子はどうだ。まだ動くのは辛いか」
「…ああ、でも大分良い。そろそろてめえの寝首を掻くくらいはできるかもな」
ノブナガはそう言った後に、余計なことを言ったと思い、口を噤んだ。
しかし、クラピカはさして気にした様子もない。
「それは良かった。あとはさっさと私の目の前から消えてくれる事を願うばかりだな」
目を上げず、シチューを口に運びながら、クラピカはそう言った。
妙な気分だった。憎くてたまらない仇の手料理を、その仇と同じ部屋で食す。
はたから見れば、この二人が常に殺意を抱きあっているなど、信じられないことかもしれない。
ノブナガは口を開いた。
「…気になんねえのかよ」
「何がだ」
クラピカは、ノブナガの話を聞き流さなくなっていた。
以前は、話したければ勝手に話せと言い、
返事をする必要は無いと判じた話題に関してはだんまりを貫き、
空気の悪くなることがしょっちゅうだった。
ノブナガは続けた。
「俺があんなところでくたばりかけてたことだよ」
「………」
返事はない。
久しぶりに、だんまりを貫くつもりらしい女に、ノブナガは珍しくいきり立たなかった。
寧ろ、そのほうが好都合かもしれなかったからだ。
「…パクノダが、あのガキ二人から記憶を読み取って、
それを俺ら団員に託したことは知ってるな」
「………」
クラピカは答えない。
しかし、パクノダが誓約と制約を破り、絶命していることは、
あの念の能力者として、知らぬはずはなかった。
「…その記憶の中に、あった。てめえが、クルタ族が壊滅した日を命日として、
今はもう誰もいねえ里の跡地に、年に一回足を運んでると。
それを、あの黒髪に話していた記憶がな」
ノブナガは、空になった食器を持った手を、足の上に下ろした。
「何を隠している、その質問でそのことが浮かび上がってきたってことは、
あの黒髪はどういうわけか、そのことを隠しておきたかったんだろうな、俺たちに。
てめえとの思い出を汚される気がして、嫌だったんじゃないのか」
クラピカは黙々とシチューを食べていたが、それがなかなか減らないのは、
そうと見せかけてろくに食べていないからであろう。
「…俺は思ったぜ、その命日にここに来りゃ、てめえに会えると。
仇を討つチャンスが巡ってくると。
で、俺は待ってたわけだ。あの崖の上から、
何も知らねえでのこのこと現れる間抜けなてめえの姿をな。
そしたらよ、魔獣が襲ってきたんだ、クルタ族じゃないとか何とか叫びながら」
ノブナガは息をついた。
「やられるとは思ってなかったけどな、あの崖の高さが誤算だった。
なんかの拍子に魔獣の爪にひっかかって、気がつきゃ宙ぶらりんよ、
あとは下までまっさかさまってわけだ」
「………」
クラピカはようやくシチューを食べ終え、それを持って立ち上がった。
空になった鍋を持ち、その中に食器を放り入れ、ノブナガのぶんも回収しに行く。
何も感じていないはずはないのに、クラピカは無表情だった。
「…あそこで倒れていたのが、お前でさえ…幻影旅団の人間でさえなければ、と思っていた」
ぽつりと、呟くように、言う。
からん、と、食器と鍋がぶつかり、乾いた音を立てる。
「…しかし、それは偶然ではなかったわけだ」
そう言い、立ち去ろうとしたクラピカの手首を、ノブナガの手が掴んだ。
はっとして、クラピカは立ち止まる。
包帯に包まれた指は、当然のようにノブナガの身体を苛んだ。
指先から伝わる痛み。こんな思いをしてまで、俺はこいつを引き止めて何がしたい。
「―――ガキの頃の話だけどよ」
「………」
クラピカの手首から、オーラが発せられる。
極度の警戒状態にある。それでも、その手を振りほどこうとはしない。
「でけえ瓶のなかに船の模型が入ってるやつあるだろ、あれ。なんつーんだっけか…まあいい、
とにかくそれを、ひょんなことから入手してな。流星街ってのはゴミの街みてえなもんだから、
そんなもんには滅多にお目にかかれねえわけよ。俺は興奮したぜ」
「………」
クラピカは、怪訝そうに眉を顰める。一体なんの話だ。
ノブナガは続けた。
「それでよ、俺はその瓶の中の船にどうしても触りたくてな。
どーしたもんかと考えた末に、その瓶を壊した。それで、その船に触ることに成功した。
満足だった。俺にゃその瓶なんて、俺と船との間を隔てるもんでしかなかったからな」
船に触れることのできた、あの瞬間のことを思い出す。
精巧で、細緻に渡り再現された、まごうことなき美しさを放っていた、あの模型。
あのときの、昂ぶった自分の手。震えていた。
「けど、後になって知った。それが瓶の中にあるからこそ、
素晴らしいと言われるもんだった、ってな。
それを知ったときには遅すぎたぜ、船の模型は殻を失って、あっというまに朽ちていった。
器があって初めて価値を持つ。またあれが欲しい、でももうない、瓶も、模型も。
けど、俺はそのことに気付いてからも、同じ過ちを繰り返していった。
俺は単純馬鹿だし、そんな俺を叱ってくれるよーな親はいなかったしな」
「……それで」
ノブナガの話があらかた終わったと判じて、クラピカは重い口を開いた。
「そんな話を私にして、一体どうしようと言うのだ」
―――全て、終わってしまったのだ。
クルタの歴史も。私は復讐のために、人を殺した。
今更何も元には戻らない。もう引き返せないところまできている。
貴様らのしてきたことも、何をもってしても償うことのできない、重大な過ちなのだ。
そう、決して繰り返すことの許されない、過ちで片付けるには残酷すぎる過失―――
ノブナガは、クラピカの瞳が緋色に揺れるのを見た。
…器をもって、初めて価値を持つもの。
「…いや」
―――おまえ、旅団に―――
その言葉を、ノブナガは飲み込んだ。
突っぱねられるのは目に見えている、
それ以上に、ウボォーの抜け番に、その仇を、だなんて。
しかし、旅団員を倒した者は、入団を許される。
妙なところで、理にかなってしまっている。
ノブナガは、一重の目蓋を伏せった。
「いや……どうも、しねえよ」
そうだ、どうかしていた。
俺は、こいつを殺す。
なのに、最後だから、と思ってこの話をしたのではなかった。
こんな話を、聞かせてどうする。
別に何も、理解して欲しいことなどない、この女に。
クラピカは静かに、ノブナガの手を振りほどいた。
目は、既にもとの琥珀色に戻っていた。
「…疲れた」
そう、溜息とともに言う。
緊張を解くのと同時に、練を止めた。
「今日はここで寝てったらどうだ。麓まで下りんのも容易じゃねーだろ」
全く他意はない、というふうに聞こえるように、ノブナガはそう言った。
―――チャンスは、今夜だけ。
クラピカはそんなノブナガを一瞥すると、ふ、と笑った。
初めて見せた、悪意の無い笑顔だった。
「私に、あえて寝首を掻かれるような真似をしろと言うのか?」
そう言い、鍋の取っ手を持ち直し、ドアノブに手をかけた。
「…それも良いかもしれんな」
クラピカの出て行ったドアを、ノブナガは見つめた。
心臓が、緊張に震え上がるのを感じた。
…心臓。
―――ジャッジメントチェーンを刺す隙なら、いやというほどあったはず。
なのに、今でもこの心臓は、穏やかに命を繋いでいる。
一度は途切れそうになったその命の綱。
綱を、鎖にすげ替えるなど、あの女には容易かったはず。
―――折角つないだ命だ。今度こそ、無駄にはできねえ。
だからこそ、俺はお前を殺す。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
―――闇。
僅かに窓から差し込む月と星の光、それも、木々の合間を掻い潜って、
ようやくここまでたどり着いた、わずかながらのもの。
それと、暗闇に慣らした自身の目だけが頼りの中、
ノブナガはゆっくりと、音を立てずにベッドから出た。
絶をつかった。ようやく念もまともにコントロールできるようになっていた。
入り口から見て、左側の壁にそって設えられている簡素なベッド。
クラピカは、右側の壁に、胡坐をかいて寝ていた。
ノブナガは、その隣に立った。
クラピカの寝姿は、静か過ぎた。
寝息が聞こえてこない。これだけ至近距離にいるにもかかわらず。
―――まるで、死体のようだ。
その考えが脳裏を過ぎったとき、
ノブナはぞっとして、その頬に指の背を当てた。
―――暖かい。
ほっとして、頬が緩んでいくのを感じた。
そして、そのことに、ノブナガは驚愕する。
慌てて、緩んだ頬に手を当てて、そこが確かに笑みのかたちになっていたのを、確認した。
そして、その後におそう、言い知れぬ憎しみと、
それに抗うかのように沸き立つ、この気持ち。
―――俺はこの女を、殺したいのか、それとも―――
愛したい、のか。
パクノダの記憶が語りかけてくる。
この、目の前の女の能力について、命を捨ててそれを託した仲間。
彼女は一体、その記憶と思いに、何を託していたのか。
重大な危機を乗り切るために、鎖野郎の能力の弱点を託し、
しかしそれと同時に、その果し合いへの終止符も望んでいた。
それが一体何故なのか、理解できなくて、苦悩した。
そして今、また別の理由で、苦悩している。
あのウボォーギンを討ったとは、俄かには信じ難い、細くて白い首筋。
ノブナガはそっと、そこに指先を這わせた。
「あ…」
不意に、発せられた、女めいた声に、ノブナガは心臓が縮み上がる思いで、さっと手を引いた。
どうやら、起きたわけではないらしかったが、心臓はいまだ、太鼓を打つような音を奏でている。
極度の緊張のせいだけではないだろう、あの鎖野郎が、本当は。
ほっと胸を撫で下ろし、無意識に再び伸ばしかけていた手を、はっとして、止めた。
―――俺は、この女を―――
家族とは。恋人とは?
もし、自分にそんなものがいたとしたなら、こんな感情を抱いたのかもしれない。
暖かく生易しい。ぬるま湯のような感情。忌まわしくしかないはずのもの。
当たり前のように、日に三度、手作りの料理を出され、甲斐甲斐しく身体を拭われた。
もし、自分達が兄妹だったのなら、些細なことで一触即発の空気になっていたのも、
日常の一こまのような、微笑ましい程度のものだったのだろうか。
もし、自分達が恋人同士だったなら、生活のその合間に、口づけを交わしたのだろうか。
ただの、偶然に出会った男女だったのなら。抱き締め合ったのだろうか。
この女が、あれだけの覚悟を持って、旅団に挑んだ理由。
拠り所を失った悲しみ。家族。恋人。
ぎゅ、と、手の平を握り締める。
―――本当は、気付いていたんじゃないのか。
もう、動けることに。看護など必要ないほどに、回復していたことに。
今だって、本当は起きているのかもしれない。
憎い仇と同じ部屋にいながら、こんなに無防備な姿を晒しているのは、
手負いの自分を侮っているからではなく、既に心を許しはじめているからではないのか。
仕事が忙しいと言いながら、それでも一日として欠かさず、ここへ来た。
一日くらいほうっておいたところで、死にはしないのに。
ノブナガは唇を噛み、眠っている女の姿を見た。
その金髪、輪郭、瞳、四肢。全て、記憶でしか知らなかったもの。
この、偶然とも必然ともつかぬ出会いがなければ、永遠に知ることのなかった、復讐者の側面。
いっそ、憎しみしか抱けずにいたほうが、幸福だったかもしれない。
―――次に会うときは、おまえはもう恩人じゃねえ。
この気高い女は、中途半端に情けをかけられることなど望まないだろう。
仇は仇として、迎え撃つときには全力でもって、その憎しみにこたえよう。
ノブナガは立ち上がり、部屋を後にした。
外の、薪の積んである場所に、刀は立てかけてあった。
ノブナガはそれを腰にさすと、走り出した。
―――この痛みは、身体に無理を強いているから生じる痛みであって、
決して、俺の胸の痛みなんかじゃねえ。
ノブナガは、この出来事を誰にも話すまいと思った。
クラピカも、誰にも話さないだろう。
そうすれば、次に出会ったとき、何もなかったように、迎え撃つことができる。できるかもしれない。
躊躇い無く、殺せるかもしれない。
家族、恋人。くだらねえ、何なんだ、それは。
そんなもの、ちっとも知りたくねえ。
知ったら俺は、旅団でなくなっちまう。
そんな侮辱は許されねえ。それこそ、死んだほうがましだ。
その侮辱を掻き消すためにも、鎖野郎を殺るのは、俺でなきゃならねえんだ。
―――罰が下る。
いずれ俺は苦しむことになるだろう、今の非にならないほどの苦しみを蒙る日が、きっと来る。
そのとき、あいつも苦しむだろうか。まるで苦しまないかもしれない。
苦しんでいたのは俺だけなのかもしれない。全て錯覚だったのかもしれない。
あいつは全て忘れるかもしれない。俺が幻覚を見ていただけなのかもしれない。
俺にとってあいつがそうであるように、俺もまた、復讐者だ。
唯一恩に報いることがあるとすれば、
殺すまで忘れないと誓ったあいつの顔と名前、
俺は死んでも忘れられそうにない。
顔と名前どころか、あの目、あの口、鼻、髪、言葉…あの手首の細さ。飯の味。
全て、忘れられそうに無い。
それが俺への罰か。
fin.
20081004
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