朝日が森林に光の筒を刺す頃に、クラピカはまた山小屋を訪れた。


この山小屋は元々、クルタ族が、万一同胞が遭難したときのことを考えて、作ったものであった。
だからクラピカはこの山小屋の存在と場所を知っていたし、勝手も知っていた。
自給自足で暮らしていた民族だったため、このあたりの食べられる木の実や根菜、植物、茸類、
水脈のあるあたり、血抜きの必要がなく臭みも少ない肉の獣など、大抵のことは覚えていた。

その知識が、まさかこういう形で役立つとは思わなかったが


自分自身でも、あの男を助けたことに驚いているし、今でも疑問に思っている。
殺してしまわなくて良かったのか、と。否、殺したいはずじゃあないのか、と。

仲間も近くにいるかもしれない、クロロの除念も済んでいるはず。
第一、どうしてこあの男がこんなところにいたのか。

疑問は山ほどあったが、一番の疑問が、あの男を助けた、自身の行動に対してあった。


たとえ憎い相手だったり、悪人だと分かっている相手でも、
必要以上に痛めつけたりすることは好まない。
それはハンター試験のトリックタワーでも、改めて実感させられたことであった。

だから、瀕死の状態で、ほうっておけばそのうち死ぬだろうあの男のことも、ほうっておけなかった。
死ぬと分かっているのに、寧ろそれを願っているのに。
助ければ、一命をとりとめるかもしれない人間を眼前にして、見殺しになど、できなかった。
今回ほど、自分のそういう甘さのような性質を、憎んだことはなかった。

自分達の目的のためなら、人を殺すことをいとわない集団、幻影旅団。
この男を生かせば、罪もなく死んでいく人間が増えるだけかもしれないのに。

後々、後悔することになるかもしれないのに。
罪悪感を感じないためだけに、あの男を助けたのだ。


甲斐甲斐しく血をふき取り、薬を塗り、包帯を巻いて。食事を作った。
それでも必要最低限にしか、ホーリーチェーンを使わなかったのは、
自分のプライドに対する、ささやかな抵抗だった。
どのみち、全快させてしまえば、自分自身も無傷には終わるまい。


―――死んでくれ。


そこまでして助けておきながら、そう心から願うのは、おかしなことだった。
自分の心の矛盾に気付いている。心の矛盾だけは、理屈では説明しきれなかった。


―――死ねば、私の望みも一つ果たされ、
今後、同胞たちのように殺されるかもしれない人も―――


そう願いながら、山小屋の扉を開けた。
玄関の先に、もう一つ扉がある。その先に、あの男がいる。

緊張の糸が張った。
深呼吸をして、ドアノブに手をかける。
この動作もおかしなものだった。今のあの男に、なにができるわけでもないのに。


キィ、と軋むドアを開けると、昨日と変わらぬ位置に男がいた。
目を瞑ってはいるが、眠っているかどうかはわからない。
シチューの入った椀も、昨日のまま置いてある。どうやら少しも手をつけなかったらしい。
暖炉の火は消えていた。残ったシチューは、動物たちにあげるとしよう。


クラピカは暖炉に音を立てぬよう歩み寄り、重い鍋を持ち上げた。
軽く息をついて、入ってきたドアのほうへ戻る。



「捨てるなよ」



背後から声がして、十分に警戒していたはずのクラピカも、鍋を取り落としそうになる。
振り返ると、男が、気だるい目をしてこちらを見ていた。


「暖めなおしゃ食う。そこに置いとけ」


…生きる意思を持ったらしい。


クラピカは絶望を感じるとともに、ほんの僅かにだが、安堵も感じた。
自分がこうして世話をしていながら死なれるのは寝覚めが悪い。
ある日山小屋の扉を開けたらそこには死体がいた。
ドアを開けるときの緊張は、そんな恐怖からもきているに違いなかった。
死体を見るのは嫌だった。例え憎い仇であっても。
ウボォーギンを手にかけたときの虚無感と嫌悪感が自身を襲う。
自分自身に対する、嫌悪感―――


「…てめえは俺を生かすことで俺に屈辱を与える、そのことで復讐心を満たす。
 俺はてめえの看護を受けて生き延び、いずれてめえを殺す。
 これで利害が一致するわけだ、クラピカさんよォ」


クラピカは眉を上げた。


「…よくその名を覚えていたな」


ノブナガはあからさまに憎悪を瞳に宿らせ、クラピカを睨みつけた。


「てめえを殺すまで、その顔と名前、忘れねえって誓ったからな」


クラピカは鼻で笑った。口元は微塵も動いていない。


「…作り直す」


クラピカは髪をかきあげて、出て行った。
耳元のピアスが、ちかりと光った。


「…ちっ」


あの冷静さが気に食わない。熱くなっている自分が馬鹿みたいだった。

ノブナガは舌打ちをした後に、小さくくしゃみをした。
その動きだけでも、ずきんと身体に痛みが走る。寒い。寒いし、痛い。

ノブナガは暖炉を見た。火は消えていた。
そのときノブナガは初めて、この山奥が夜と朝にどれだけ冷えるか、
あの暖炉がどれだけ明るかったか、シチューがどれだけ暖かかったのか、知った。









復讐に生きた罰を受けよ










小一時間ほどして、クラピカは戻ってきた。
部屋の入り口に重たい鍋を置いて、一旦外に出ると、洗った椀とスプーンを持って来て、
それをサイドボードの上に置き、また外に出る。そして、今度は薪を抱えて現れた。
暖炉に薪をくべ、鍋をさげると、火を熾した。
ぱちぱちと、節の割れる音が、熱を伴って部屋を満たす。
クラピカは一息つくと、再び立ち上がった。


「少し待っていろ」


そう言うと、部屋を後にする。


徐々に鍋から立ち上ってきた匂いは、どうやら昨日のものと全く同じものらしい。
やっぱり作り直す必要なんてなかったんじゃないか、とノブナガは思う。
こんな寒いところで一日置いておいたところで、悪くなんてなりようがない。

女ってわかんねえな、ノブナガはそう思って溜息をついたところで、ふと、気がついた。
そうだ、鎖野郎鎖野郎と呼び続けてきたから、忘れがちだったが、あいつは女なんだ。
よくもまあ、一人だけまんまと生き残って、今日まで生き抜いてきたもんだ。

見たところ、年も十は下だろう。


―――俺らを殺すことだけを糧に、生き抜いてきた、ってわけか。


そうやって生きてくれば、自然と冷徹にもなるものなのか。
旅団にとって、復讐者というのは珍しい敵ではなかったが、彼女の覚悟は、並大抵ではなかった。
現に、彼女の能力はウボォーギンを討ち、結果的にパクノダも死に追いやった。
旅団員も、一時は団長との接触を断たざるを得なくなっていた。


―――呑気に構えてると、寝首を掻かれるのは俺のほうになっちまうかもな。


そう考えた矢先に、ノブナガの脳裏を、あの、ゴンという少年の言葉が過ぎった。


『クラピカはお前達と違う!
 たとえ相手が憎い仇だって感情に焼かれて容赦なしに殺したりはしない!
 もしもお前達と約束を交わしたのなら、それを一方的に破ることも絶対しない!』

『少なくとも今は、お前を殺すつもりはない』



―――約束、ねえ。



パクノダはあの子供たちに感謝していた。
パクノダの記憶に残っていたのは、鎖野郎への憎しみ、しかし、それ以上に―――



―――駄目だ。


ノブナガは首を振った。

俺にはわからねえ、パクの思いは。
一体どうしろっていうんだ、何のために鎖野郎の弱点を、俺らに託した?



俺が、鎖野郎を目の前にして、この憎しみを、抑えきれるとでも思うのか―――




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




小川で小さい木製のバケツに水を汲んでいると、先程のシチューをやった動物たちが、寄ってきた。
きぃきぃ鳴きながら足元にまとわりついてくるものもいれば、
肩に乗って、愛くるしく頬ずりしてくるものもいた。


「もうないよ。また今度な」


クラピカは笑いながら、動物たちの頭を指先で撫でた。
しかし動物たちは、それでもクラピカの後をついてきた。
クルタの里にいたころは、よくあることだったので、クラピカは気にせず、そのまま歩き続ける。

そのとき、頭上をぎゃあぎゃあとけたたましく鳴く鳥が過ぎった。
低級な魔獣だ。人語を操れるが、かたことで、インコのような喋り方をする。


「クラピカ!クラピカ!かえってきた!クラピカ!」


やれやれ、あいつはまだ生きていたのか。
クラピカはそう思い、溜息をつく。

過去にたまたま母親に叱られているクラピカを目撃したことがあったらしいこの魔獣は、
狩りに出てきたクラピカの匂いを嗅ぎつけ、
そのときの母親の真似をして、クラピカをからかっていた。
うんざりしながら、その魔獣に向かって、言う。


「戻ってきたわけじゃない!またすぐに出て行く!」


その言葉を聞くと、魔獣は戸惑い、ぎゃあぎゃあと鳴くのを止め、
静かに、くるくると迷ったように旋回する。


「も…もどってきてないっ…ま、ま、またでてく…クラピカ…クラ…」


壊れたCDプレイヤーのようにそう言い、魔獣はやがて、ふらふらとどこかへ去っていった。

クラピカは困ったような顔をして、溜息をついた。


―――あまり頭脳の発達していない魔獣は、理解していないんだ、クルタの里がもう無いことを。


猛獣と戦えない肉食の小動物など、中には自分らが集めた木の実と引き換えに、
クルタ族の者から獣肉を恵んでもらう生き物もいた。
先程の魔獣のように、ここ数年めっきり姿を現さなくなったクルタ族を不思議に思ったり、
懐かしんだり、悲しんだりする者もいるようだ。


―――まさか、ここにまだ私の帰りを待つ者がいるとはな。


クラピカは不思議な心持ちになったが、それでももう二度とここで暮らすことはない。
皮肉にも、今クラピカの帰りを一番心待ちにしているのは、あの山小屋に居る男だろう。




山小屋に戻り、部屋に入ると、クラピカは意外な光景に目を丸くした。

空になった鍋が、ドア付近に置いてあった。中には、汚れた食器も入っている。
暖炉には、ただ炎が燃えているだけで、
ノブナガはベッドに横たわったまま、天井の一点を見つめていた。


「随分…腹が減っていたようだな」


クラピカは、素直に思ったままを述べた。


「あんまり帰りが遅いんで、待ちきれずに食っちまったよ。
 容易じゃねーぜ、このほんのちょっとの距離を動くだけで全身を針、
 いや、ナイフで刺されたような痛みが襲う。食ってても腹だの腕だのが痛む」

「…あまり勝手に動き回るな。治りが遅くなるぞ」


淡々と言うノブナガに、クラピカは呆れてそう言った。
ノブナガのほうに歩み寄り、バケツを置いた。三尺ほどある布を折りたたんで、中の水につける。


「…よく言うぜ、俺の容態が悪化してくたばることを望んでるくせによ」

「この看護を要する容態を維持されるのは、
 私にとってはお前の死よりも都合の悪いことだからな」


ノブナガは舌打ちをした。その音は、クラピカが布を絞る音に掻き消される。
だったら、なんでとっとと看護を放棄しねえ。

クラピカの手が、ノブナガの合わせの服にかかる。
ぎょっとして、ノブナガは身体を強張らせた。


「な、何しやがる」

「身体を拭くんだ、見て分からないか」

「ひ、必要ねえ、そんなもん」

「汗と血で汚れているんだ。包帯も替える。消毒も必要だ」

「だから必要ねえって」

「悪臭を放つ身体でいられては、看護が難航する。
 嫌ならば抵抗しろ、まあ無駄だとは思うがな」


言いながら、クラピカは既に腕から包帯を外し始めていた。
固まった血の剥げるのを、ノブナガは眉間に皺を寄せて耐える。
外し終えると、今度は濡らした布で、丁寧に拭っていく。
時折、思わず声を漏らしてしまいそうになる痛みがノブナガを襲った。
そんなときは、クラピカも眉を顰めていた。あまり血を見るのは好きではないらしい。
無論、血を見るのを好むのは、快楽殺人者くらいのものだろう。


「おい、嫌なら無理してやるこたねぇだろ」


額に汗を滲ませ、そう言うノブナガに、クラピカは顔を上げずに答える。


「嫌だと思っているのは貴様のほうだろう。いちいち口出しするな」


ノブナガは頬に青筋を浮かべ、けっ、と言った。かわいくねぇ。
今度は足の包帯を外しにかかる。あらぬところが無残に凹凸を作っているのを見て、
クラピカは思わず顔をしかめた。ホーリーチェーンを使ってしまいたくなる。
その考えを振り払うように、クラピカは頭を振り、
布を絞り直すと、酷い怪我を避けるようにしながら、拭き始めた。


「…おい、鎖野郎」


ノブナガはふてぶてしい声で、そう呼んだ。
しかし、目の前の女は反応せず、黙々と血と汗と汚れをふき取っている。


「おい」


ノブナガはやや声を荒げて言ったが、やはり返事はない。舌打ちをする。


「…お嬢さんとでも呼ばなきゃ返事もしねえつもりか」

「…私を何と呼ぼうが貴様の勝手だ。返事はしなくてもこの至近距離だ、声は聞こえている。
 話があるのなら勝手に話していればいいだろう、言ったはずだ、口出しはするなと」


ノブナガは顔を真っ赤にして怒りをあらわにしたが、
確かに、彼女の言う通りだと思い、なんとか心を静める。
馴れ合いは必要ない。話があるなら勝手に話せばいいだけのことだ。
意見を感じれば、返事もあるだろう。


「…てめえ、女だろ。抵抗ねえのか、こんなこと」


クラピカは暫く黙っていたが、右足の包帯を外しにかかったときに、口を開いた。


「私は自分自身の性別を強く意識したことはない。
 クルタの里を出てから、私は男でも女でもなくなった。
 そんなことをいちいち気にしているのは、貴様のほうだろう」


刺々しい物言いに、ノブナガの怒りは再び沸点に達したが、最早怒る体力も殆ど無い。
歯を食いしばって堪え、再び口を開く。


「別に俺だって気にしてるわけじゃねえ、男だろうが女だろうが、俺にとっちゃてめえは鎖野郎だ。
 鎖を操るリベンジヤローにかわりはねえ。ただ状況が状況だろ。
 俺は流石に、女に下の世話までしてもらうのは抵抗があるだけだ、
 まして、てめぇは仇だ。今だってぶっ殺してやりたくてたまらねえ。その女にだな」

「私をそこまで女として意識した男は、お前が始めてかもしれんな」


鼻を鳴らして、クラピカは挑発的に言った。
ノブナガは脳の血管が切れる思いだった。
ウボォーも、こうやって屈辱を感じながら、死んでいったのか。

クラピカは、ほんの一瞬、ノブナガにも分からぬほどに、手を震わせた。


「…私だって、今この瞬間も、貴様を殺してやりたい。そう願っている。
 それをぎりぎりのところで堪えているんだ」

「………」

「言っただろう、生きたければ屈辱に耐えろ、と。貴様は生きると決めたのではなかったか」

「…ああ、そうだよ」


ノブナガは低く凄んだ声で、そう言った。
けど、クラピカさんよぉ、てめえも屈辱的なんじゃねえのか、
仇の身体を、甲斐甲斐しく拭ってやってよ。

クラピカはノブナガの目を、その先の心を読み取るようにして見つめ、言った。


「貴様の考えは、概ね当たっていると言えよう」


そう言い、腹部の包帯に手をかけた。









to be continued.
20081004




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