鉄製の箱を胸に抱え、ウィークリーで借りているマンションの部屋にクラピカは向かっていた。
セキュリティがしっかりしているぶんレントは張るが背に腹はかえられない。
蜘蛛がこの国で緋の目の大部分を売り払ったのか、その筋の人間が多いからなのかは分からないが、
ここでのコミュニティには緋の目の所有者が多かった。
オークションに出品されることもあれば所有者に直接接触できる機会もある。
しばらくこの国に滞在するためにも、金庫代わりになる部屋が必要だった。
―――パイロは、今夜も会えないのか。
エレベーターに乗る。金庫は最上階だ。
あの青年―――“パイロ”と再会してから、まだほんの数日しか会えていなかった。
そして、あまり自分のことを話そうとしない。
彼もずっとクラピカと離れて生きてきた。
今の彼には、今の彼の生活がある。
子供のころのように、いつでも一緒というわけにはいかなかった。
それはクラピカも同じこと。
元々この街には、緋の目の回収に来たのだから。
そのことは理解しなければと、クラピカは心に留めていた。
円を怠らず、周囲を慎重に見回しながらマンションに入り、部屋へと向かう。
部屋のドアを開ける際にも、なにか罠がかけられた気配はないかなど、
その気配を探るための間を置いてから部屋に入る。
短い廊下を抜け、狭いリビングにたどり着くと間接照明を点ける。
オレンジ色の明かりの中に浮かび上がった備え付けのテーブルと、大きな布で目隠しされた、その上にあるもの。
クラピカは目蓋を伏せ、布を引いた。
そこにはずらりと規則正しく並んだ箱があった。
箱はそれぞれ材質が違ったり、多少規格が違ったりはしていたが、
大体が同じくらいのサイズであった。
その箱たちの端に新たにスペースをつくり、クラピカはそこへ丁寧すぎるほどの仕草で鉄製の重い箱を置いた。
先日のオークションで競り落としたものだ。
1、2、3、4、…
数は常に把握しているはずなのに、
こうして並べるたびにクラピカはその数を一から数えなおす。
そうする癖がついていた。
数え間違えていなければ、あと一対で全ての緋の目を回収できるはずだ。
そして、その最後の一対もこの国に所有者がいる。
えもいわれぬ緊張と高揚とが常に胸にあった。
この国に入国してから。
きっと今までのようにはいかないだろう。
今までだって一筋縄ではいかなかった。
経験を通して、あとすこし、という時ほど、ことを慎重に運ばねばならない。
そして、その教訓をことあるごとに反芻する。
とにかく、ずっと何か胸騒ぎを感じていた。
30、31、32、33、…
そのとき、スーツの胸ポケットに入れた携帯電話が鳴った。
自身の息づかいしか響かないこの部屋に突如木霊した電子音にはっとしながら、
クラピカは慌てて胸ポケットに手をしのばせる。
パイロだろうか。
そんな期待がバイブの振動とともに胸を震わせる。
しかし、液晶に映し出された名前はまったく別の、女のものだった。
クラピカは一瞬落胆したが、すぐに気を持ち直した。
この女は、最後の緋の目の所有者と深く関係のある人間であったからだ。
クラピカは何度か咳払いをし、声を整えた後でその電話に出た。
「…何の用だ。もう二度と会いたくないと言ったのはそっちだろ」
クラピカは、出しうる限りの低く冷たい声で、携帯電話の向こう側の女にそう言いはなった。
女は息をつまらせ、惨めなほど震える声で、
ごめんなさい、でも、どうしてももう一度会いたいの。もう困らせるようなこと言わないから…
そう、すがるように言った。
クラピカはわざとらしく溜息をつく。
「悪いがこっちも暇じゃない。そんなことを言うために電話をかけてきたのならもう切るぞ」
待って、と、女が叫ぶように言う。
『お願いだから切らないで…あの、あなたがいつか見たいと言っていた、青い海と空のある国への旅行チケットがあるのよ。
それに、あなたが欲しがってた緋の目も、パパに頼んで特別に見せてもらえることになったの』
前半は聞き流したが、緋の目の話になったところで、クラピカは眉を上げた。
胸がざわつく。
「時間を作ろう…今夜はどうだ」
パイロが、今夜は大事な用事があるから会えないと言っていたことを思い出し、クラピカはそう提案した。
相手の女は、今夜はちょっと、と言いかけたが、
クラピカが、無理なのか、と言うと慌てて、予定を調整すると言った。
「わかった。それじゃあ、いつものホテルのいつもの部屋で」
クラピカは簡潔に言うと電話を切った。
ふぅ、と溜息をつくと、少しの罪悪感と同情心が芽生える。
―――馬鹿な女だ。騙されているとも知らずに。
カーテンのない部屋の窓硝子に、朱色の明かりに浮かび上がった自身の姿を見た。
そこには男とも女ともつかない者がいた。
馬鹿な女とは、果たして誰のことなのだろう。
やさしく歌って
「こんなものが欲しいだなんて、パパもあなたも大概酔狂な人」
ホルマリン漬けの容器をカツンと爪ではじき、女は言った。
ある高級ホテルのスイート。
ハンターライセンスを使えば容易く借りられる部屋であるが、
普段クラピカは簡素な部屋を好んで借りる。
こんな無駄に贅沢な部屋を用意する必要があったのは、この女が裏社会のとある富豪の令嬢であるからだ。
「ねえ、どうしてそんなに、緋の目にこだわるの?」
そう言いながら黒いスーツの肩にしな垂れかかってくる女に目もくれず、クラピカは一対の赤い目に見入っている。
何も言わないクラピカに、女は拗ねたように自身の長いブルネットを指先で弄んだ。
「…あなたって、自分のことを何も話さないのね」
「…話してるだろ」
クラピカは溜息混じりに言った。
二人は中央にあるテーブルに面したソファに腰かけていた。
広い部屋には硝子張りの浴室も、二つの鏡台も、バーもあるのに、
女はクラピカの傍を片時も離れようとしなかった。
クラピカは口を開く。
この女の前では、いつもより低い声で、いつもより口調の粗暴な男を演じる。
「…青い海と青い空の話。俺にとっては大切な思い出話だ」
「いつか必ず見に行こうと、死んだ幼馴染と約束した」
「お前以外には話したことはない」
女は斜め上にあるクラピカの顔を上目遣いに見つめた。
クラピカからは見えないが、その目は期待に潤んでいる。
「…どうして、そんな大切な話を私に?」
「…さぁ」
クラピカは髪をかきあげた。
「何故だろうな」
この女の前では偽物の自分を演じている。
しかし、誰にも話したことが無い、死んだ幼馴染との大切な思い出話。
これは本当のことだった。
自分でも何故、この行きずりの女に話す気になったのか分からなかった。
言葉を濁したクラピカに対し、それでも女は満足げにほほ笑んだ。
「…ほら、これ。電話で話したやつよ」
そう言って、ぱたぱたと二枚の紙切れをちらつかせた。
ちらと視線をやると、それは飛行船のチケットだった。
青い空と海のある、島国行きのチケット。
その行き先を見てクラピカは一瞬意外そうに眉を上げたが、
女の手からそのチケットを受け取ってまじまじと見ると、今度は呆れたように眉間に皺を寄せる。
「また随分と良い船室のチケットだな」
「だって私、この船室しか使ったことなくて」
せっかくとったんだから、もうちょっと喜んでくれてもいいじゃない。
そう言ってむくれ、クラピカの肩に頭をあずけた。
いちいち一喜一憂して、忙しい女だ。クラピカは思った。
「ね、せっかくなんだもの。一緒に行きましょうよ」
「俺と?お前が?」
「他に誰がいるのよ」
「いいのか?」
指先でチケットをひらひらさせながら、クラピカは鼻で笑った。
「恋人がいるんだろ?」
無邪気な表情でクラピカの横顔を見つめていた女の瞳が陰った。
何故そんなつまらない話を、とでも言いたげだ。
「…別れたわよ」
そう溜息混じりに言う。
「あなたと出会って気付いてしまったの。
彼って、優しいけど、優しいだけで退屈だった」
チケットを揺らす指を止め、隣の女を見おろした。
―――馬鹿な女。
何故、優しいだけでは物足りないのだろう。
退屈なくらいの男のほうが、私のような“男”よりよっぽど幸せにしてくれると、何故気がつかない。
何故女は、傍にいてくれる優しい男の大切さに気付かずに、
少し悪いような男に心惹かれて傷つくほうを選ぶのだろうか。
「それに、たぶんきっと、彼は私がいなくても大丈夫。
でもあなたには私がいないと、きっと駄目になってしまうわ」
その自信は一体どこからくるんだ。
クラピカは欠伸がでるような女の科白を心底退屈な思いで聞いていた。
「私には分かるの。あなたは本当はとても優しくて傷つきやすい人だって。
大切な幼馴染を失って、ずっと、辛くて寂しい思いをしてる。
でももう大丈夫。私がずっと傍にいてあげる…」
自己陶酔しているような声色でそう言いながら、クラピカの肩を指先で撫でる。
「私はあなたを置いて、死んだりしない…あなたの幼馴染のように」
女の体温を半身に感じながら、クラピカはこの緋の目をどうやって手に入れようか、
考えを逡巡させていた。
緋の目のコレクターは彼女ではなく、あくまでも彼女の父親だ。
できれば、穏便な方法で解決したいものだが。
そのとき、クラピカの胸ポケットの携帯電話が震えた。
バイブ音に気がついて顔をあげても、女はクラピカから離れない。
手にした携帯電話の液晶画面を見て、クラピカはほとんど反射的といっていいほどの速さで立ち上がる。
自然と、スーツをつかむ女の手が離れた。
「誰?」
「…仕事仲間からだ」
怪訝そうに眉を顰める女に、クラピカはそう答えた。
無論、嘘だ。
女は少しつまらなそうに、赤い唇をとがらせる。
「意外。あなたに仲間がいるなんて。一匹狼ってかんじなのにね」
「悪いが今日は帰る。また会おう。連絡する」
クラピカは女が引き止める間もなく、そう言って女の額にキスを落とした。
去り際に見た女の顔は、クラピカの最後の言葉とそのキスに満足そうにほほ笑んでいた。
部屋を出るなり、クラピカは慌てて携帯電話の通話ボタンを押す。
「パイロ?どうしたんだよ?今日は会えないって言ってたじゃん」
ほんの数秒前の声とは打って変わった明るい声で矢継ぎ早にそう出ると、
“パイロ”と呼ばれた電話の主は少し戸惑ったように口ごもった。
パイロのその反応に、クラピカはハッとした。
「すまない、つい。故郷の言葉を話すなんて一体何年ぶりだろう」
そう、共通語で謝罪した。
本当に、クルタ語を再び口にすることがあるなんて、夢にも思ってみなかった。
クラピカはエレベーターを待つ時間ももどかしく、階段を早足に駆け降りる。
電話先のパイロは、少しすまなそうにした。
『いや、こっちこそ…急にいつもとちがう言葉を話すから、驚いちゃって。
…いま、大丈夫かな?』
「ああ、私は大丈夫だがどうしたんだ?急に。
今夜は外せない予定があると言っていたじゃないか」
『うん、もう用事は済んだんだ。だからその…できたら会いたいなと思って』
思わず、口元にうっすらと笑みが浮かぶ。
踊り場で足を止めると、暗い窓に映る顔を見て、タイトにセットした髪に指を通して崩した。
「私も…会いたい」
頬が紅潮するのを感じながら、クラピカはふたたび足早に階段を駆け下り、ロビーに出た。
電話で、どこで会うか、時間はどうするかなどのやり取りをしながらフロントへ行き、ジェスチャーでチェックアウトを済ませる。
フロントの若い女性スタッフは、クラピカがチェックインしたときと声色も雰囲気もまるで変わってしまっているのに
驚きを隠せないでいたが、当のクラピカはそんなことを気に留める余裕もなかった。
ホテルを出るとタクシーに飛び乗り、パイロの待つホテルへ向かう。
狭い車内に入ると、あの女の香水の匂いがスーツにうつってしまっているのがよくわかった。
あまり好みの香りではない。
一度自分が借りているマンションに戻って着替えたりシャワーを浴びたりもしたかったが、
とにかく一分一秒でも早く会いたい。
移り変わる車窓の外の都会の風景をバックに、ラジオからロバータ・フラックの『やさしく歌って』のカヴァーが流れていた。
to be continued.
20130805
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