ククルーマウンテン行きの観光バスはもう出ていない時間だった。
走ったほうが速かったかもしれないが、レオリオもいることを考えて、車をレンタルした。
ハンドルはレオリオが握った。助手席にはゴンが掛けた。
後部座席に座っているクラピカは、背凭れに身体を預け、
レオリオの運転を値踏みするかのように伺っていた。



「結構な安全運転だ。だが今回ばかりは少し急いでほしい」

「これでも大分スピード出てるぞ。いちいち交通規制にひっかかりかねないぜ」

「日に一度観光バスが出るだけの暗殺一家の家城へ向かう道で、そんなことしていると思うか。
 捕まったらライセンスを提示すればいい」

「けっ、相変わらず、ストイックなわりに妙なところで過激な奴だ」



悪態をつき合っている二人に、ゴンは安堵した。
ホテルを出る前に、各々に、以前のように接するよう頼んではいたが、
あまりにも、出会ったばかりの頃を彷彿とさせる二人のやりとりに、
少々吹き出しそうになったほどだ。

元々、色恋から始まった関係ではないのだから。
ゴンは心の中で頷いた。仲間に戻れないはずがない。
みな、人なのだから。譲れない価値観がある。それぞれの生きた環境が違うように。
それをいつまでも受け入れないでいるのは、その人自身を否定することにもなる。

レオリオとクラピカに関しては特に、
初対面のときは、絶対に相容れない仲だと思っていただろう。
それが、今では十年近い付き合いになる。
その間に、長く想いを寄せ合う仲にもなった。

少しずつ、氷解していけばいい。
許せなかった思いや、溶けなかった疑念は。

いつか、何もかも、元通りになってくれる。
今すぐに赦すことはできなくても、きっと時が解決してくれる。









裏切り











ひやりとした空気。ぼやけた視界。
何故、こんなにも瞼が重いのだろう。

寝ている場合ではなかったような気がするが、そんなことを考えてもいられないほどに、眠い。
眠気というよりは、脳が覚醒を拒否しているようだった。
無理やりに、眠りへ落とそうと懸命に瞼を押されているようだった。

いったい。


そのとき、鋭い痛みが背部をおそった。
思わず、悲鳴をあげる。
眠気は吹き飛んだが、瞼は酷使した筋肉を纏ったかのように、まともには上がってくれない。

しかし、それでようやく気がついた。
自分が宙吊りにされていることに。
手首も足首も、鋼鉄の拘束器具により、自由を奪われていることに。

衝撃を与えられた振動で、両手首を天井に繋ぐ鎖が、じゃらじゃらと音をたてた。



「いい目覚めだな、ジャン」



低く、よく通るその声に、ジャンははっとして口を開こうとした。
が、口までもが動かない。震える瞳孔を下へ向ける。
目には映らなかったが、なにか球体の形をしたものを噛まされていることに気付いた。



「ここがどこだか分かるか?」



狂気を孕んだその声。
ジャンは、力の入らない瞼を精一杯に見開き、
あたりを見回し、声の主の姿を認めようと試みた。
が、再び背中に激痛が走る。何本もの刃に抉られるような痛み。
それは耐え難いものであった。もう一度この痛みを与えられるというものなら、
全てを投げ出し、痛みを与えようとする男に屈服してしまいそうだった。



「そうか、初めて見るんだよな。ここはゾルディック家本邸の拷問部屋。
 よほどの罪を犯した使用人や、聞き分けの悪い直系の人間しか入れないような部屋だ。
 死ぬ前にその目で拝めたことを有難く思えよ」



腹の底から這い上がってくる恐怖と吐き気に、ジャンは戦慄した。
そして、己の行いを全て後悔した。
金に目が眩んで、この家の当主の妻に雇われたこと。
言われるままに、執事の女とゾルディック家三男の関係を見張り続けたこと。
二人の関係を仔細に渡り、逐一雇用主に報告したこと。
結果として、その女執事は何者かの手によって暗殺された。

しかし、何者か、などというのは使用人たちの間の方便で、
犯人が誰であるかなど、ある程度目星がついていた。

執事のカナリア。彼女は昔から、雇用主のキキョウに良く思われていなかったらしい。
その理由は、彼女の息子の三男にあたる銀髪の男が原因であった。


そう、いま、目の前でジャンを見据えている、爬虫類のような目をした男。
その男はにいと笑い、白い歯をみせつけた。



「折角だから、いくつかの道具について説明してやろうか」



そう言い、手始めに、今手にしている有刺鉄線状の鞭を、
ぴしっと弦を張るようにしてみせる。



「今までお前を打っていたのはこの鞭だ。
 地味なもので、ゾルディック家直系の人間にはかすり傷一つ負わせることができない、
 こんなものじゃ…まあ、使うに値しない、がらくただよ。
 暫く使ってなかったもんだから、随分錆びてる」



暗に、お前に使うのはこんなもので十分だ、と言っていた。
ゆっくりと、ジャンの恐怖心を煽るように、彼の目の前を横切っていく。
今度は、大型のジュラルミンケースを目の前に持ってきた。
キルアはどこからともなく白い手袋を取り出して両手にはめ、慎重にケースにふれた。
鍵をあけ、そっと開ける。



「これはベンズ・ナイフ。親父のコレクションだ。
 初期から後期のものまで、ある程度のものが揃ってる。特殊な形のものは、毒入りだ。
 毒は、0.1mgでクジラを即死させるものから、じわじわと身体を腐敗させていくものまで」



そう、ジャンの顔色を伺うようにしながら、規則的に並んだナイフのうちの一つを手に取る。
緻密な構造をした、美しいナイフ。しかしその刃は不気味に、血を欲しているようだった。
頼りない照明の光もぎらりと反射されるほどに、鋭く、丁寧に砥がれた刃先。

ジャンの顔色が、ますます青ざめていく。
叫べない口で、懸命に助けを請おうとする。汗が噴き出す。殺される、殺される…

キルアは、弾かれたように笑い出した。



「ふ…はは、あはははは、馬鹿が、自惚れんなよ、
 誰がこんな高価なものでお前を殺してやるか。
 お前の命は俺がこれから、少しずつ、丁寧に、削り取っていってやるよ。
 簡単に殺しはしない…カナリアが味わった恐怖と絶望を噛み締めながら、
 お前は死んでいくんだ。最後まで惨めな命乞いをしながらな」



そう、興奮に昂ぶる声で言い、ケースを閉じて手袋を外す。
ジャンの背後へまわると、キルアはその口の拘束をといた。
ジャンは口の中にたまった唾液を吐き出すと、ぜえぜえと息をついた。
キルアは眉一つ動かさず、惨めな男の周りをゆっくりと歩いていた。
たまらず、ジャンは泣き出した。



「こんな…こんなことをして何になる。俺は何もしていない。
 俺には娘も孫もいる。どこにでもいる貧しい男だ。
 そんな男の命を奪って何になる…何の特にもなりゃしない」

「自分のおかれた状況がいまいち良く分かってないみたいだな」



キルアは冷めた声で、男の耳元に囁いた。
そして、その少ない頭髪を思い切り引っ張り、首をぎりぎりまで反らせた。
ジャンは、頭皮と首に与えられた痛みに、叫んだ。
飛び出そうになった目に、キルアのエメラルド色の瞳がうつった。
白目の色が、酷く濁っている。



「おまえの存在が、おまえの犯した罪が…俺を駆り立てるんだ、お前を殺せと。
 おまえがのうのうと生きているというだけで、
 俺の心は蝕まれる、病魔に侵されていくように。
 俺の心に住まう、薄汚い男の裏切りによって命を落とした女が言っているんだ、
 お前さえいなければ、ってな」



叫ぶように言うと、男の顔に唾を吐きかけた。
たまらず、ジャンは唸った。顔を拭いたくても拭えない。

ふいに、キルアの気配が遠のいた。
かさかさと、何かをまさぐっているかのような音が聞こえる。
虫の這う音に似たそれに、ジャンはがちがちと歯を鳴らした。
つぎは、つぎは一体どんな痛みが襲うんだ。

キルアは、袋から取り出したものらしい、
小さな試験管のようなものに入った液状の薬品と、細身の注射器を持って現れた。
見せ付けてやるために、わざわざ持ってきたのだろう。



「これは、主に痛点の感度を上げる麻薬だ」



落ち着き払った口調で言いながら、
その試験管の蓋になっている側に、注射器の針を突き刺した。
徐々に、その医療器具の中が、黄みがかった液体に満たされていく。



「おまえには勿体無いくらい高価な、いい薬でね…
 効果は絶大、しかも即効性…悪くないぜ。痛点だけでなく他の感度もあがるから、
 あんたみたいな萎びたジジイにとっちゃ、バイアグラみたいなもんだ」



言いながら、鎖に繋がれた男の袖をまくり、肘の裏側を露出させた。
ジャンは叫んだ。叫び、暴れた。やめろ、頼むからやめてくれ。
しかし、そんなことをしてもただ鎖が五月蝿く擦れ合うだけで、
悲痛な叫びはキルアを喜ばせるものでしかなかった。
苦痛と恐怖。愛した女が味わったものと思えば、
ますます目の前の男への殺意が沸き立った。

針が、静かに肌の奥へと侵入した。
ひっ、と声をひきつらせ、ジャンの動きが止まる。
暴れれば、肌の中で針がどういうことになるかくらい、容易に予想ができた。
これから与えられる痛みはそんなものではないであろうが、
それでも、今体感している痛みをそれ以上のものにしようとは思えず、
大人しくその薬品を享受してしまう。


キルアは、薬品を男の身体に流し込みながら、
まるで自分自身が薬漬けになってしまったかのように、手首の震えるのを感じた。

この部屋にいると、気がおかしくなりそうになる。
壁が、棚が、薄暗い照明が、拘束器具が―――彼女の苦しみを覚えている。
苦悶のうちに死に絶えた彼女の叫びを覚えている。
部屋中が語りかけてくる。殺せ、殺せ、と。
この身体の奥底に眠る殺人鬼の血を、呼び起こさせようとする。


そうだ。キルアは思った。


そうだ、俺は殺人鬼の末裔、ゾルディック家直系の男子。
だから再び舞い戻ってきた、この忌々しい家に。
俺は殺人鬼だ。人を殺せるか殺せないかでしか判断できない、
無欲で無感情で、残忍な殺人鬼なんだ。


キルアは注射器を投げ捨てると、電動鋸を手にした。
青白い凄惨な顔に薄ら笑いを浮かべながら、
ジャンの前にそれを突き出し、スイッチを入れた。

空気を切り裂く、叫び声のような凄まじい音が部屋中に響いた。



「…カナリアの死体がどんなだったか知ってるか?」



ジャンは首を横に振った。否、震えのあまり、そう見えただけだ。
全身の穴という穴から、汗や涙が流れ出た。小水をもらし、部屋に悪臭が漂ったが、
キルアはまるで嗅覚が麻痺しているとでもいうように、何の反応も見せない。
ただ、目の前の男の恐怖にかられた顔を脳裏に刻み込もうとするかのように、
じっと視線をそらさなかった。



「…手足の指が、全てなかったんだよ」



そう言って、躊躇いなくジャンのがたがたと震える指先に刃を当てた。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




「クラピカ、顔色が悪いよ。大丈夫?吐きそう?」



バックミラー越しにクラピカの表情を見たゴンは、そう心配そうに言った。
クラピカは、うっすらと笑みを湛え、まだ大丈夫だ、と答えた。

俺はちらと、バックミラーに視線をうつしてみた。
確かに、顔色が芳しくない。車酔いをするようなやつだったか。
いや。記憶の中のクラピカは、流水に洗われるオレンジのようにまわる船の中で、
まるで絵本の中に出て来る一つの場面のように、
優雅にハンモックで眠るような女だった。
自分と同じで、乗り物酔いとは無縁な性質のはずだが。

キルアの悲しい身の上を思い嘆いているのだろうか。
無理もない、人の死に人一倍敏感なやつだ。気分が悪くならないわけがない。
それに―――

レオリオは思い出しかけて、やめた。


もうよそう、あのことを考えるのは。
ゴンだって、前のように接してくれと言っていたのだ。

でもせめて、お互いの誤解を解いてから、戻りたい。
事実を捻じ曲げたまま、今後も以前のように、とはいかないように思う。
それとも、クラピカももうそんな話はしたくないだろうか。

お互いに、あれは悲しい過去だけれど、
これからは思い出しても笑い話になるようなものにはできないのだろうか。

愛していたのに、私の気持ちを疑って愚かな過ちを犯して、馬鹿な男だ、と。

いつもの、憎まれ口を叩く口調でそう言ってもらえたなら。
二人を、心から祝福できるように、なれる気がした。



「着いたぞ」



懐かしい、そして忌まわしい、試しの門が眼前に現れた。
巨大で、見るものをしり込みさせるような威圧感を放つ扉。
今の俺は、そしてゴンやクラピカは。一体、いくつの扉まで開けられるだろうか。
しかし今は、そんな悠長なことをしている場合ではないのかもしれない。



「クラピカ、着いたって」



俺の気付かないうちに、クラピカは眠っていたらしい。
ゴンがそう優しい声で言う。すっかり旦那の口調だな。ゴンのくせに生意気だぞ。
ついつい、昔の癖で、そう言ってしまいそうになる。

童顔で、何も知りません、なんて顔をしていながら、
その実、昔からなかなか隅に置けない少年だった。
一時期は、十歳近くも年上の美女と付き合っていたらしい。
らしいというか、写真を見せてもらったことがあった。
それはもう、目を見張るようないい女で。素直にそう思って口にすると、
キルアが、どこが、ホラー映画に出てきそうなスプラッター女だ、と悪態をついていた。
ゴンはそんなキルアをたしなめていたが、成程、
そんな二人のやりとりを見て、キルアが意外に浮いた話の一つもなく、
ゴンが存外に不自由していないという事実に、妙に納得がいったものだった。

クラピカも。
他の女たちと同じように、ゴンに惹かれていったのだろうか。



「ゴン…」



俺がいることを忘れているのだろうか、
甘えるような寝起きの声で、そうゴンの名を呼ぶ。
いつもなら隣に並んで寝ているはずの男がそこにいないことが不満なのか、
伸ばした手で、その姿を探すように、何度もシートを叩いていた。

よくあることらしく、ゴンは困った様子も見せずに、言った。



「もう着いたから。山道だし、乗り物はちょっときつかったかな」



車を停めると、ゴンはすぐに降りて、後部座席のドアを空け、
上半身だけ乗り込むようにして、クラピカに肩を貸した。

クラピカは随分具合が悪いようだった。
ついさっきまで眠っていたにも関わらず、やはり車酔いしていたのか。
それとも、まだ寝ぼけているのだろうか。
そんなに切り替えのできない女ではなかったはずだが。
ゴンと一緒になって、自立のできないやつになっちまったのか。

随分、ゴンも甘やかしているようだし。
どちらか片方が尽くしすぎるタイプだと、もう片方は駄目になっちまうんだな。
妙に納得したが、俺には滅多にしな垂れかかってくるようなことをしなかったクラピカを、
あそこまでしおらしくさせているゴンに、しなくてもいい嫉妬をした。

ふと、思った。


クラピカは、ゴンを認めているんじゃないか。


一度考えついてしまうと、更によくない考えが沸々と、
様々な形をして、熱を帯び、浮かび上がってくる。

父親は超一流ハンター、そしてゴンはその資質を強く受け継いでいる。
あるいは、父を超えるほどの実力がある。
力勝負では勿論、念能力でも(クラピカは念能力に厳しい制約を科しているから尚更)、
あいつはゴンには敵わないだろう。


けれど、例えゴンには勝つことはできなくても、クラピカは、俺にだったら。


―――ハンター試験のときもそうだった。
俺はことごとくクラピカとゴン、そしてキルアの足を引っ張っていた。
それに対してクラピカは、駆け引きで危機を切り抜けたり、
元から高かった戦闘能力に加え、博識で、数々の困難を乗り越えた。
ゴンも、驚くような機転をきかせて俺たちを助けてくれ、しかも全く恩着せがましくない。
その資質はハンター協会からも高く評価され、
最終試験では一番多くのチャンスを与えられ、
そしてその年最初のハンター試験合格者となった。


―――レオリオに甘えるわけにはいかない。けれど、ゴンになら。


もし、あいつがそんな気持ちで俺に接していたのだとしたら。
俺を軽んじる意味で、俺との約束を、緋の目の取り引きの後回しにしていたのだとしたら。


俺という存在よりも、緋の目の存在が、あいつの心の大部分を占めていたあの頃。
今、おまえの心の中では、ゴンと緋の目、
どっちが上等の部屋で懇切にもてなされているんだ。



「レオリオ、何ぼーっとしてるの。置いてくよ」



ハンター試験の前、一本杉に向かう道すがら、
駄々をこねていた俺に投げかけられた言葉と同じ響きを持つ声で、そう呼ばれた。

そうだ、ゴン。お前は大人になったというだけで、根本は何も変わってないよな。
変わったとしたら、あいつを好きになりすぎて、
疑うことでしか愛を示せなかった、あの頃の俺だ。
そして、そんな俺の愛を理解できずに崩れ落ちていった、あいつ。
そんなあいつを、昔と変わらない優しさで支えたゴン。

かなうはずがなかった。
そうだ、あいつは口は悪くても、仲間を軽んじて見るようなことはしなかった。

ただでさえ弱い―――あるいは、クルタ族を失う前は、弱くはなかったのかもしれないが―――
クラピカが、安易に自分を傷つける人間と共に過ごすことなど、できるはずがない。
誰だって、優しくて誠実な男になら、しな垂れかかりたくなるに決まっていた。

分かっているのに、そこまで理解しているのに。
なぜ、こんなに心が挫けそうになるんだ。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




「こんにちわ」



自分達の目的とは裏腹に、明るくはっきりとした声で、
ゴンは門の前の小屋にいる守衛―――否、掃除夫に挨拶した。
挨拶されることなどよほどないのだろう、壮年をすぎた男は、
ぽかんとあっけにとられた表情で、ゴンをまじまじと見ていた。
記憶している男より、少々老けたようだったが、
間違いなく見覚えのあるたしかな顔に、ゴンは頬を綻ばせた。



「ゼブロさん、久しぶり。俺がわかるかな?」



ゼブロと呼ばれた男は、疑問符さえその表情には出さなかったが、
それでも心底の驚きは隠せずに、感嘆の声をあげた。



「分かるも何も…客としてここへ来たのは君たちが最初で最後だったからねぇ、
 勿論覚えていますよ、ゴン君、レオリオ君、そして、えー、クラピカ…君」



ゼブロは三人の顔を、記憶の糸を手繰り寄せるようにしながら、
ゆっくり、順繰りに指差していき、そしてそれぞれの名前を呼んだ。

ゼブロはあの頃から、クラピカを、
クラピカさんと呼ぶか、クラピカ君と呼ぶかを、迷っていた。
かといって、本人に面と向かって、あるいは友人であるゴンかレオリオのどちらかに、
あの子は男なのか女なのか、と尋ねるのは失礼と考えていたのだろう。
いつも、彼女の名を呼ぶとき、迷いがありありと生じていた。

そのことを思い出して、ゴンは困ったように笑う。
クラピカさん、だよ。ゴンがそう言うと、クラピカでかまわない、
と蒼白な顔のまま、隣のクラピカが言った。

いやまあ、と、感慨を噛み締めるようにゴンの顔をまじまじと見つめながら、
ゼブロは立ち上がった。



「大きくなったもんだねえ。見違えるようだ。
 あんなに小柄な子供だったのに、逞しくなって…
 レオリオ君とさほど変わらないくらいじゃないか」

「いや、さすがにそこまでは」

「クラピカさんも、随分大人になった。何歳になりました」

「ええ、もう二十五に。早いもので」

「レオリオ君、医者になりたいという夢は」

「おかげさまで」



それぞれと、そうにこやかに握手をしながら言葉を交わしていったが、ふと険しい表情になり、



「実は、あなた方が来るのを今か今かと待っていたんですよ。
 ささ、どうぞ中へ。とはいっても、昔と変わらず試しの門ですから…
 余談ではありますが、私もそろそろ身体にガタがきましてねえ、
 ここらが潮時かと思っているんですよ、後がつかえてますしね」



そう言いながら、三人を門前へ案内した。
ゴンは六の扉、クラピカは三の扉、そしてレオリオも三の扉までを開けた。

予想以上の結果に、ゴンは満足そうに、肩を鳴らした。
クラピカは、身重の身体に応えたのだろう、
ゴンには散々やめておけと止められたにも関わらず、強引に押し切って扉を開けたものだから、
辛そうにその手首や腰周りをさすっていた。
レオリオも、そろそろ若くねーかな、と呟きながら、痛む腕を揉んでいた。



「こんなときに不謹慎かもしれなけど、
 やっぱりあの頃より成長してるって分かるのは嬉しいね」

「私は大して成長していないようだ。知りたくなかったな」

「俺はあの頃既に二まで開けてたのになぁ、やっとあの頃のキルアに追いつけたってことか。
 まあ勉強か医者としての仕事かで、修行どころじゃなかったしなぁ」



それぞれが、自身の現在の力量について感想を述べる中、
ゼブロは道案内をしながら、振り返らずに言った。



「ちなみに、現在のキルア坊ちゃんは、七の扉、
 つまり最大重量の扉を開けて中に入られますよ。
 これはゾルディック家初代当主以来のことでしてね、いやはや、シルバ様や奥様が、
 何としても跡継ぎにはキルア坊ちゃんを、と息巻くのがわかりますよ。
 しかし、その重すぎる期待が今回の悲劇を招いてしまったわけでありまして、
 なんといいますか…」



その先を言いあぐねて、ゼブロは力なく首を振った。

どこからか、巨大な獣が息を潜めてこちらの様子を伺っている。
一度かいだことのある人間の匂い、けれど明らかに以前記憶した姿形とは違う容貌に、
躊躇い、警戒しているような気配。

しかし、試しの門から入ってきた人間たちを攻撃する気配もなく、
ただじっと、遠くから敵意を投げかけてくるだけであった。



「七の扉…」



クラピカが呟くように言う。
その声には、その敵意に対するいらだちのようなものが感じ取れた。



「もし、八の扉があったなら。もしかしたら、それをも開けていたかもしれない」

「そのキルアが怒りに任せて暴れまくったら、ゾルディック家一族の力を束にしたって、
 相当の傷跡をこのククルーマウンテンに作るはずだぜ」

「大丈夫。キルアはそんなことしないよ」



気温の低さに辟易するように、顎をダウンの襟元に埋めながら、ゴンは言った。



「昔からキルアは、感情のふり幅の大きい俺のストッパーだったんだから。
 でも、思いつめやすい性格で。ひとり自分の殻に閉じこもったり、その中でだけ暴れたり、
 自分を必要以上に責めたり、そういうのは絶対にあると思う。
 でも、今回みたいなことは初めてだから…
 自分にとって身近で、大切な人を失うっていうのは。
 どういうことになるか分からない、あくまでも俺に当てはめた場合だけど、
 俺だったら、犯人をつきとめる。そして、そいつのことを絶対に許せない」



クラピカは、痛ましさとも同調とも違う、複雑な表情を浮かべて、ゴンを見ていた。
ゴンの言っていること、それはすなわち復讐だ。
クラピカも、拠り所を奪った旅団への復讐を誓っていた。
そして、もしかしたら、キルアも、また。


レオリオは考えた。
俺は過去に友人を失っている。それは病魔によるものだった、
しかし、金さえあれば治せない病気ではなかった。
あのとき、何にその悲しみを、やりきれぬ怒りをぶつければ良いのかわからなかった。
その医者なのか、病魔なのか、
莫大な金を払わなければ生きることも許されないその体制に対してなのか。

結果として、レオリオは医者以外の選択肢を選んだ。
病魔を取り除く職業につきたい。格安の料金で治療を施す医院を持ちたい。
それで怒りと悲しみをを昇華させることができた。

しかし、クラピカやキルアの場合は、明確な、怒りをぶつけるべき対象者がいる。
復讐すべき犯人がいる。

レオリオは口を開いた。



「キルアは、母親がカナリアを殺したって言ってたんだな」

「うん、直接彼女を手にかけたのは母親だって、言ってた」

「彼女の亡骸は酷く凄惨なものだったらしい。言葉にするのも憚られる」



クラピカは、恐ろしいことを思い出したように、ふるふると頭を振った。
ゼブロが、ぱたりと足を止めた。



「さて、相変わらずで申し訳ないんですが、私が案内できるのは、やはりここまで。
 ここから先は一度足を踏み入れたことのあるあなたがたのほうが詳しいでしょう。
 今のあなたがたの実力なら、彼らの棲家をきっと見つけることができる。
 今は亡きカナリアに代わって、私からお願いさせてください」



そう言い、ゼブロは深々と、三人に向かって頭を下げた。



「キルア坊ちゃんをどうか、助けてやってください」



三人は、力強いとは言い難い曖昧さで、頷いた。


愛する人間を失った悲しみというのは、簡単に拭い去れるものではない。
レオリオはそのことを知っていた。

殺されたのだとしたら尚更のことだ。
憎悪の渦から救い出せるのは、死んだ人間の蘇りでしかないというくらいに。
その怒れる悲しみを、ゴンとクラピカは知っていた。



レオリオは知らなかった、その昔、ゴンが自身の恩師を失っていたことを。
それにより、激しい復讐心にかられたことを。
ゴンとクラピカの間に共鳴するものがあったとすれば。



なあ、そうなのか。



レオリオはクラピカの背中に問いかけた。



自分を悲しみから救うのは、復讐でしか有り得ないのか。









to be continued.
20080923




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