白いひなげし





ゴンがその診療所に着いたのは丁度日付が変わった頃だった。
しかし、そんな時間にも関わらず、この診療所の電気は煌々とついていて、
入り口の自動ドアも作動するままだった。

息を落ち着けて、その診療所の名が伝えられたものと同じものかを、確認する。
間違いない。ゴンは躊躇わずにドアの前に立った。

中に入ると、待合室と診察室の間の廊下に、レオリオが立っていた。
ゴンの姿をみとめると、彼は眼鏡の下の目を親しげに綻ばせた。


「よォ、久しぶりだな。また少しデカくなったか?」


しかし、その顔色は優れない。おそらく寝ていないのだろう。


「レオリオ、クラピカは?」


旧友への挨拶も忘れ、ゴンはそう尋ねた。
レオリオは眉を顰める。


「ああ、命に別状はねぇ。けどな…」

「けど、何?なにか後遺症が?」


言葉を詰まらせるレオリオに、ゴンは血相を変えて詰め寄る。
レオリオは両手を前に翳し、慌ててゴンを制した。


「いや、そうじゃねえ。っていうか、俺にもまだ確認のしようがねえんだ。
 何しろ、もう一週間目を覚ましてねぇ。点滴で命を繋いでる状態なのは確かなんだ」

「一週間も!?一体どうしてそんなことに」


ゴンがそう、身を乗り出したときだった。
また、自動ドアが開く。二人は視線をそちらにやった。


「レオリオ、クラピカは!?」


その人物は入ってくるなり、そう張り詰めた声で言った。

さすがにこの状況下では、名前をわざと呼び間違えるようなことはできなかったらしい。
無論、その人物はキルアだった。


「よォ、気持ちは分かるが、二人とも挨拶くらいしてくれよ」


レオリオは困ったように苦笑した。
なにしろ、何年ぶりか分からない再会なのだ。


「今ゴンにも話してたところだ。あいつはまだ目を覚ましてねぇ」


キルアは、レオリオがそう言ったところで、ようやくゴンに気付いたというように、
―――否、とっくに気付いていただろう、その食い入るような視線には。
―――ゴンを見た。
そして、とってつけたような笑みを、彼に向けた。


「…久しぶり」

「…うん、久しぶり」


二人は曖昧に視線を交わしあうと、戸惑ったように目を泳がせ、レオリオを見た。
そんな二人の様子に、レオリオは怪訝そうに眉を上げたが、
空咳をひとつすると、本題に戻った。


「…目立った外傷はない。ただ、魘され続けてる。
 ヨークシンの時より酷いぞ、ありゃ。おそらく蜘蛛と何かあったんだろうが、
 それにしちゃ外傷がないってのは妙だからな。
 あいつが目覚めない限りは、俺にも何とも言えない」

「でも、どうしてレオリオの医院に?まさかこの近くでぶっ倒れてたとか?」


そう尋ねるキルアの声を聞いて、レオリオは妙な感慨を覚えた。
そういや声変わりしたんだな、ゴンも一緒だが。
電話では何度か話してたから、そのことは知っていたが、
こうして成長した姿を眼前に聞くと、また違ったような印象を受けるから、不思議だった。

早く、あいつにもこいつらの顔を見せてやりたい。
レオリオはそう思いながら、口を開いた。


「いや、俺のケータイに電話があったんだよ、隣国から。
 どっかの山でぶっ倒れてたのを登山家が発見したらしくてな、
 その山の麓の病院に運ばれてたんだよ。
 で、あいつの携帯のリダイヤルの履歴で、
 一番最後に話した俺に電話がかかってきたってわけだ」

「最後に?」


キルアが問う。レオリオは頷いた。


「ああ、それと、着信履歴でも俺が一番多かったらしくてな。
 メモリー見ても肉親らしき者の番号が登録されてなったもんだから、
 それで俺に白羽の矢が立ったってわけらしい」


レオリオは事も無げに言う。
恐らく、クラピカがゴンやキルアとも同じように連絡を取り合っていたものと思っているのだろう。

ゴンは俯いた。
クラピカ、レオリオとは頻繁に連絡とってたんだ。


「だったらレオリオ、最後に電話したとき、クラピカに変わった様子はなかったのか?
 例えば、蜘蛛のことについて何か言ってたとか」


キルアの言葉に、レオリオは首を横に振った。


「いや、あいつが向こうの病院に運ばれたのだって、俺と電話をした一週間後だぜ。
 電話では特にこれといった話はしてなかったぞ。仕事がどうだとか、そんな近況報告だけで。
 ただ、あいつは体質が特殊だし、ハンターライセンスだって持ってるだろ?
 あんなところに放り込まれたら、意識のない間にライセンスを盗まれたり、
 不意を突かれたときに緋の目を晒しちまうことだって考えられたからな。
 大事を取って、俺の医院に引き取らせてもらったってわけだよ」


そう言って、肩を竦めた。
そして、ゴンとキルアの目を、じっとうかがうように見つめる。


「…行くか?あいつの部屋に。もっとも、眠ったままだけどな」


二人は頷いた。
お互い、隣に居る相手のことを、極力見ないようにしていた。
そのことを、レオリオに悟らせないためにも、今はクラピカの身を案じることだけに徹した。


明かりの落ちた部屋で、ベッドのシルエットだけがぼんやりと浮かんで見えた。
電気のスイッチを押すと、あたりを白い光が包み込んだ。
その中で、なにか酷く現実味のない顔色をした、作り物のような人の姿が、横たわっていた。


―――クラピカ。クラピカだ。


まさか偽者であるはずがないのに、
何故か二人は、確認するようにその青いくらいの顔に見入った。
あまりにも久しかったというのもある。
その顔色が現実に受け入れがたいほど死人めいていたというのもある。
その事実を、受け入れたくなかったのかもしれなかった。

ゴンは俯き、目頭を押さえた。肩が震えた。
だから、幻影旅団とはもう戦って欲しくなかったんだ。

そんなゴンを、キルアは気付かれぬよう、横目に見ていた。
昔と変わらない。自分への攻撃には驚くほどの耐性があるのに、
仲間の死やダメージには、脆すぎるほどに弱い。
ゴンの長所であり、弱みでもある性質。

キルアもまた、クラピカの身を案じながらも、どこか冷静でいる自分があるのを感じていた。
自分のそんなところもまた、昔と変わっていないのかもしれない。
あるいはそれは、生まれついてから持っている遺伝性のものなのかもしれなかった。
感情に突き動かされるのを好まない。それが命取りになるかもしれないからだ。


そのとき、クラピカが何かを言った。

ゴンとキルアは、はっとして顔をあげた。
しかし、どうやら何かを話したわけではなかったらしい。
苦しげに眉根を寄せて、首を捩っていた。額には汗が滲んでいる。

苦しそう。でも、確かに生きているんだ。

ゴンは涙する顔に微かに笑みを浮かべ、キルアはほっと息をついた。
ゴンはレオリオを振り返り、縋るような視線を投げかけた。
レオリオは力なく首を振った。


「…どうしようもねえよ、そればかっかりは。
 もしかしたら、旅団の誰かの能力かもしれねえしな、目覚めねぇってのは」

「だとしたらかなり厄介だよ。除念師ってのは見つけるのが相当困難らしいしな」

「除念師を見つければ済む問題なら寧ろ大歓迎だよ。
 最悪なのはクラピカを救ける術が無い場合だ。
 もし、このまま一生悪夢から醒めないようだったら…」


自らの不吉な結果の予想にあてられたように、ゴンは再び俯いた。

キルアは気付いていた。ゴンの言葉に秘められた棘に。
クラピカを救けるためなら除念師を探し出すための労力など、少しも厭わないゴン。
その労力を厄介だと思う自分。

でも、その除念師が何十年も見つからなかったら、どうするんだ。
優秀な能力者は、雪男よりも見つけるのが困難とされている除念師。
最悪のケースは、どんなことにもついて回ってくるというのに。
キルアは唇を噛み締めた。


「…レオリオ、俺、暫くここでクラピカをみててもいいかな」


ゴンはそう、くぐもった声でレオリオに聞いた。
レオリオは磊落な笑みを見せたが、そこには抑え難い疲労のいろがあった。


「ああ、いいぜ。俺もここんとこ仕事とこいつのこととで、まるで休んでなかったんでな。
 暫くの間みてて貰えると助かる。何かあったら遠慮なく呼んでくれ。
 俺は仮眠室で寝てるからよ」


そう言い、ドアノブに手をかけた。
できた隙間から足を外に出しかけながら、


「キルアも、もし休みたかったら来いよ。
 ま、仮眠室ってくらいだからぐっすりとはいかねーだろうから、
 もし何だったら近くのホテルをとってやっからよ」


と言った。キルアは、ああ後で行く、と短く答えた。

レオリオの足音が遠のくと、静寂があたりを包んだ。
犬の鳴き声が、波の音に乗って外から流れ入ってくる。
レオリオの故郷は美しい港町なのだが、
深夜にこの国へ降り立った二人には、まだそのことが分からなかった。

ゴンは静かに、ベッド脇の椅子を引き、そこに腰掛けた。
キルアは、何か言葉をかけようとして口を開き、そうしては躊躇い、を繰り返していた。
そんなキルアに気付いてかそうと知らずか、業を煮やしたようにゴンが口を開いた。


「…キルア、行っていいよ。休んだほうがいいよ。パドキアからじゃ長旅だったでしょ」


ゴンの言葉は、キルアを気遣うものというよりは、自分とクラピカを二人きりにしてほしい、
という内心の願いと、明確な拒絶があらわれていた。
キルアは唾を飲み込んだ。そうする、と答えてしまったほうが、楽かもしれないし、
これ以上自分たちの関係に瑕を抉ることもないのかもしれない。
ただ、弁解をしたいだけなのかもしれない。それでもキルアは言わずにはいられなかった。


「…あのな、ゴン。今まで俺のことどう思ってきてたのか知らねえけど、
 クラピカはハンター試験の頃から、俺にとってだって、ずっと仲間だったんだぞ。
 幾ら何でも今回は関係ないからなんて言わせねーよ。
 ガキじゃあるまいし、いつまで意地張ってやがる。
 クラピカの一大事にまで、こんなことやっててどうするんだよ」


ともすれば荒げそうになってしまう声をなんとか喉の奥に押さえ込んだ。
ゴンは振り返らなかった。まさか今の言葉に少しも動じなかったということはあるまいに。


「何言ってるの?キルア」


ゴンは暗い水の底から響くような声で、言った。
はっと、キルアの肩が強張る。


「…そう。クラピカの一大事なんだよ。俺たちのことについては、後にしてくれないかな。
 俺は今はとにかくクラピカの身を案じていたいんだ。
 キルアもクラピカのこと本当に仲間だと思ってるんなら、
 目の前で意地張ってる俺のことなんかより、床に伏せってるクラピカのことを気に掛けてよ。
 クラピカが元気になった後なら、言いたいこと、幾らでも聞くし、俺も言うから」


ゴンの言葉には、これ以上の追求は認めないという、頑強な意思があった。
キルアは言葉に窮し、怯んだように後ずさった。
やがて、歯がゆそうに目頭に皺を寄せると、靴の踵を鳴らして踵を返し、


「…分かったよ。俺は俺のやり方で、クラピカの身を案じてる」


そう言って、部屋を後にした。

靴音が十分に遠ざかると、ゴンはクラピカの手を握り、頬に当てた。
暖かい。生きているんだ。そうと分かるだけでも、心が落ち着いた。


今は、クラピカとレオリオの関係のことも、キルアとのことも、考えずにいたかった。




「念能力を使えない…?」


レオリオは頷いた。

彼の伝えた事実にキルアは言葉を失ったが、同時に、やはり、とも思った。
彼女が眠っている状態でも分かった。
以前のような威厳というか、彼女のもつ迫力のようなものが失せている。
ともすれば、肉体能力を別にすれば、ほとんど凡人ともとれるような。
レオリオもそれに気付いていたらしい。

キルアはふらつく足取りで、簡素なベッドの上へ崩れ落ちるように腰掛けた。
レオリオは椅子を回してキルアと向き合い、組んだ手を膝の上に置いた。


「クラピカから聞いたことがある。蜘蛛の団長は相手の念能力を盗む力を使うってな。
 おそらくクラピカはヒソカから聞いたんだろう。
 誓約を破れば念能力そのものを失う危険があるって聞いたことはあるが、
 あいつの能力は旅団以外に使えば念能力どころか命を落とす。
 …能力だけを失ったんだとしたら、おそらく、クロロが」


キルアは顔を上げた。


「ちょっと待て、おかしくないか?
 だったら念能力を奪った後、どうしてとどめを刺さない?
 今じゃクラピカだって、奴らにとっちゃ仇だろ」


レオリオは肩を竦める。


「それは、俺も思ったさ。けど、考えようによっちゃあ、だ。
 なにしろ人通りのない山奥だったし、放っておけば勝手に死ぬだろうって思ったんじゃないか?
 仮に生き延びたとしても、念能力を失った鎖野郎なんざ取るに足らない、ってな。
 あるいは、あえて見逃したのかもしれねえ。
 憎い仇に情けをかけられるほど、屈辱的なことはねえからな…」

「何にしたって救いがねえよ。念能力を失っちゃ、到底旅団と渡り合う事なんか…」


額に手をあて、項垂れるキルア。
レオリオは眼鏡の下の目を思案するように動かしたあと、立ち上がった。


「…いや。俺は寧ろあいつの念能力を奪ったクロロに感謝したいくらいだがな」


二段になったベッドのはしごを登りながら、レオリオは言った。
キルアは眉を顰めて立ち上がり、レオリオを振り返った。
彼はベッドにもぐりこむところだった。


「何言ってるんだよ?あんな状態のクラピカが旅団員と対峙したら、即殺られるのなんて目に見えてるだろ?
 もう前みたいな無茶はできないんだぜ?」

「だからだよ。ったく、お前は分かってねえな」


掛け布団を頭まで被り、くぐもった声でレオリオは答えた。


「念能力を奪うだけにとどまった旅団が、今後もクラピカを追うとは考えにくいだろ。
 クラピカだってこうなっちまった以上、前みたいな無茶はしねえよ。
 あいつは死を恐れることはなかったが、勝算の一切ない戦いに首突っ込むほど馬鹿じゃねえ」


レオリオの言葉の語尾は消え入りかかっていた。
数瞬間を置いて、おやすみ、と言うと、間もなく寝息を立て始める。
よほど寝不足だったのだろう。昼は診療所の医師としての仕事、夜はクラピカにつきっきり。
キルアは瞼を伏せ、レオリオの掛けていた椅子に腰を下ろした。


―――そうかな。


親指を噛んだ。


―――復讐者の執念というのは、理屈じゃない。
俺は今までに何度も見てきた。己の実力に見合う相手ではないと分かりながら、
それでも襲い掛かってきたリベンジャーたちを。
奴らは相打ち、あるいは自滅覚悟で、それでも俺たち暗殺者をこの世から消そうとした。


キルアは再び立ち上がり、下段のベッドへ横たわった。


―――そういうヤツに、無茶とか無謀とかいう言葉は通用しない。


今更、ハンター試験のトリックタワーでの出来事が思い出された。
試練官との戦いで、頑なに自身の意見を曲げなかったクラピカ。
時には調和を乱す、彼女の強固な意思。


キルアは瞼を伏せった。


眠りはなかなか、訪れてくれなかった。









to be continued.
20081027




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