しかし、諦めるのが無理だからといって、急に何か名案が浮かぶわけでもなく。
既に夕刻を回っているのをビートル型の携帯電話の液晶で確認しながら、
キルアは重い溜息をついた。


「刻一刻とダンスの時間が迫ってるわけなんだけど。
 俺、わりーけど祭りにそんな付加価値をつけたくじら島の風習を恨むぜ」

「うん。俺も今日ばっかりは」


二人は、今のうちにとばかりに、港より離れた高台へ避難し、
大きく積み上げられた薪に火をつけようと躍起になっている海の男達を眺めていた。

気の早い男女は、既にその薪の周りで場所取りをはじめている。
まだ、ザックとクラピカの姿は見えていない。


「…あっれー」


キルアは目を細め、隣のゴンの肩をちょんちょんとつついた。
ん、とゴンは、気だるい目をしてキルアを見た。


「あれ。あの、のぼり出してる出店の手前にいるカップル、ウィルとダニエラじゃね?」

「え、嘘でしょ……あ、ホントだ」


波打つ漆黒の髪に赤いドレスのダニエラと、同じ黒髪にコーンローのウィルは、
これだけ離れたところから見ても目を引く組み合わせであった。
キルアは舌打ちした。


「乗り換え早いでやんの」

「まあ、どのみちダニエラはザックとは組めないだろうし、
 ウィルは元々ダニエラのこと気に入ってたみたいだし、いーんじゃない?」


ゴンはそう言いながらも、その言葉の端々に、呆れとも嘲りともつかぬ色を滲ませていた。
キルアはまた、重々しく溜息をついた。ゴンは苦笑した。


「そこまで落ち込まなくても」

「ん?ああ、違うよ、俺のことじゃなくてさ。クラピカさ」


キルアは困ったような顔になって言う。そして、また溜息をついた。


「俺はなんとしてでもお前とクラピカを躍らせてやりたかったんだけど」

「ううん、その気持ちだけでも十分だよ、ありがとキルア」

「ありがとうなんて、
 お前らが踊ってから言ってもらわねーと俺が奔走してきた意味がありません」


そう言い、照れたようにそっぽを向く。

でも、本当に気持ちだけで十分なんだけどな。
だって、クラピカのことを諦めるのは無理だってわかったけど、
クラピカとザックの仲を邪魔するなんて、そんなこと、俺にはできないし。

たとえクラピカが他の人のことを想っていても、
俺が勝手にクラピカのことを好きでいるぶんには、いいんじゃないかな、って思えてきたから。

ザックのような位置に立ってクラピカに見られるのは無理かもしれないけど、
それでも、キルアが言ってくれた、
俺といるときも同じ顔してるって、あれ、凄く嬉しかったから。


そのとき、ゴンのズボンのポケットの中で、携帯電話が震えた。
その大きな振動に、ゴンは思わず身体を竦める。

やっぱり大きすぎるな、録画なんてしないし買い換えようか、などと考えながら、
通話ボタンを押し、携帯を耳に押し付ける。


「もしもし」

『ゴン、私だが』


ゴンは、一瞬思考が停止し、その直後、思わずすっくと立ち上がってしまう。
そんなゴンを、キルアが不思議そうに見上げた。
が、その表情で、すぐに誰からの電話かが分かり、
ぴんときた顔をして、ゴンと同じように立ち上がった。


「どっ、どうしたの、クラピカ、ザックといるんじゃなかったの?」

『…ああ、さっき別れたよ』

「えっ、別れた?!なんで?!ダンスはこれからだよ?!」


キルアはゴンの言葉に驚き、思わず電話の向こうに聞こえないように、手を叩いた。
微かに、クラピカの笑い声が聞いてとれた。


『いや、最初からダンスの前に別れる予定だったんだ。キルアは一緒にいるのか?』

「えっ?キルアっ?」


思いがけぬ電話に、ゴンの頬は紅潮し、携帯を握る手は震えていた。
キルアは慌てて、ゴンの顔の前に、腕でバツをつくった。
別行動していると言え、ということらしい。


「あっ、あの、キルアは、別行動してるんだ」


震える声でそう言うと、キルアは、うんうんと頷いた。


『そうか。ゴンはもうダンスの相手は決まっているのか?』


キルアも、ゴンの携帯にこれでもかというほど耳を近づけて、
なんとかクラピカの声を拾っていた。
ゴンは、なんて答えるべきか、頭では分かっているはずなのだが、
混乱してしまい、キルアの指示を仰がないと、まともに返事もできない。
勿論、キルアはまた腕でバツのかたちを作った。


「う、ううん、決まってないよっ」

『そうか。私はもう戻ろうかと思っていたんだが、
 もし、まだおまえのダンスの相手が決まっていなければ、
 折角だし一緒にどうかなと思ってな。おまえさえよければの話なんだが』


キルアは思わず飛び跳ねて、今度は腕で丸を作った。
ゴンは、なにがなんだかわからないというふうに、何度も頷いた。


「う、う、うん。俺こそ、クラピカが俺でもいいんなら、俺からお願いしたいくらいで」


声が震えないようにするだけで精一杯だった。
あいているほうの手で、しきりに髪をかきあげる。
キルアは満面の笑みを、造形の整った顔に浮かべていた。

電話の向こうから、安堵した声が漏れる。


『そうか、なら良かった。
 私は焚き火の近くの見世物小屋の前で待っているから、そこで落ち合おう』

「う、うん、分かった。それじゃ、急いで向かうよ、うん、また後で…」


ゴンは、まだ夢見心地といった、もどかしい手つきで、電源ボタンを押した。


二人で、長い息をついた。
そして、キルアはこれでもかというくらいに、上体を反らせて飛び跳ねた。


「よっ……しゃー!!マジありえねえ!!奇跡だろ?!そうとしか思えない!!」


手放しに喜んでくれるキルアを見て、ゴンも感激を覚えていたが、
しかし、それと同時に申し訳なさでいっぱいになる。


「で、でも、キルアは…」

「は?何言ってんだよ!俺のことなんかどーでもいいって!
 大体デートも未経験の俺にいきなり女と踊れなんて無理な話だし!
 俺のことなんか気にしねーで、楽しんでこいよな!
 できればもっとこう、二人の距離が縮むようにさ!」


キルアはそう早口に言い、にかっと笑った。
早くも、ゴンのもとから離れようと、後ろ足に歩き始めている。


「さーて、そういうことなら俺はどうやって時間を潰すかなー、
 ま、とにかく俺は適当にやってるからさ。
 クラピカもう待ってんだろ?急げよ!珍しく女らしい格好してることだし、
 これからダンスが始まることを考えても、多分今頃ナンパの嵐だぜ!じゃーな!」


キルアはそういうと、風のように走り去っていってしまった。
おそらく、ゴンに余計な気を使わせないためだろう。

ゴンはキルアの去っていったほうを見つめ、ありがとう、と呟いた。
しかし、緊張に強張る頬はどうしたものか。
クラピカと二人きりになることなど、初めてではないのに。









どうして…









言われていた見世物小屋の近くまで来ると、クラピカは確かにそこに立っていた。

キルアの言っていたような、ナンパの嵐という事態にこそ陥っていないものの、
こうして離れて見ていると、
遠巻きに好奇な視線を投げかける男たちがちらほらいるのが、よく分かった。
ゴンはなんとなく、むっとしながら、クラピカのほうへと歩み寄っていった。


「クラピカ!」


そう名を呼ぶと、クラピカは顔をあげ、微笑んだ。
いくつか、出し抜かれたと溜息をつくのと、コブ付きかと悪態をつく声が聞こえてきたが、
クラピカはそれが自分達のこととは思っていないらしい、ゴンも聞こえないふりをした。


「急に呼び出してしまって済まなかったな。
 丁度ゴンに渡したいと思っていたものがあったんだ」

「…え?俺に?」


ゴンはどきりとした。
が、同時にクラピカの左手の小指に、
今朝まではなかった光るものを認めて、ずきんと胸が痛んだ。
ザックにプレゼントされたに違いなかった。


「ああ」


そんなゴンの複雑な心情など知る由も無く、クラピカは屈託無く笑う。


「キルアにも…と思ったのだが、あれはこういうのを疎ましがりそうだったのでな、
 二人は常に一緒にいるようだし、ゴンだけにでも、と思ってな。
 くじら島へ招いてもらった御礼も兼ねて」


そう言い、クラピカはどこからともなく、小さな指輪を取り出した。
ゴンははっとした。クラピカの小指にはまっている指輪と同じデザインのものだ。
中心に、赤い石がついている。クラピカの耳飾りの石と似ていた。

ゴンは息を呑んで、
クラピカの手によってそれを自身の左手の小指にはめられるのを、じっと見つめていた。
随分小さいと思ったが、それは、あらかじめゴンの指に合わせて作られたかのように、
ぴたりと肌に吸い付いた。
ゴンははっとして、クラピカを見上げた。


「クラピカ、これって」

「ああ。露店で買ったものだが、それにちょっと細工をさせてもらった」


ゴンは凝で小指にはまった指輪を見てみた。
穏やかなオーラに包まれたそれは、妖しげに鈍い光を放っていた。


「その指輪の裏には、ルクソ地方に伝わる古代文字が彫られていてな。
 あちらの地方特有の言い回しであるから、共通語に直訳するのは難しいのだが、
 あえて訳すならば、“あなたを心配していたい”、そう彫られている」

「あなたを…」


ゴンの胸の中の痛みが引き、
そして、心地のいい高鳴りが徐々に全身を凌駕していくのを感じた。


「その指輪には私の念が込められている。然程難しいものではないが、
 万一、ゴンに…ゴンとキルアに、なにかがあった場合、私はそれを知ることができる。
 そのときは、何を置いても駆けつけることができるように」


クラピカの小指にはまっているほうの指輪が、ゴンの小指の指輪に共鳴するように輝いた。
ゴンはクラピカを見上げ、指輪を見つめ、そして俯いた。


「ありがとう…大切にするよ」


クラピカは満足そうに笑いながら、言った。


「ふふ、どのみち外したりすれば、そのことも私には分かるからな。
 そのときには、どういうつもりだと連絡させてもらうぞ」


クラピカは笑っていたが、ゴンは、もしそれが本気なら、
その連絡ほしさに何度も指輪を外してしまうかもしれないな、と思った。

そのとき、焚き火が、ごうと熱気を発した。
この日のために設えられた簡素なステージの上で、楽団が音楽を奏ではじめた。
ゴンとクラピカは驚き顔を上げて、目を合わせた。どちらからともなく笑みを漏らす。


「踊るか?」

「うん!」


ゴンは明るく返事をし、クラピカの手を取った。
クラピカの指輪が手の平に触れる感触を、心地よく感じていた。



「…ねぇクラピカ」

「うん?」


最初は緊張して、どうステップを踏んだら良いか分からず、
ぎこちなかった二人のダンスも、ようやく周囲に溶け込めるくらいになっていた。
薄闇に包まれつつある空に、ちらほらとビーズのような星々が瞬き始める。

ゴンは、聞いていいものなのかと躊躇ったが、思い切って口を開く。


「…本当はザックと踊りたかったんじゃないの?」

「…どうして?」

「だって…もしかしたら喧嘩でもしたのかな、と思ってさ」


本当は、そんなんじゃない。
そんな心配をしているのではなくて、もし、クラピカがザックと喧嘩をした腹いせに、
自分とこうして踊っているのなら、それは流石に手放しに喜べることではないからだ。

しかし、そんなことを正直に言えるはずも無く、ゴンはそう尋ねた。
クラピカは苦笑した。


「いや、そんなことはない。電話でも言ったとおり、
 私は最初からザックと踊るつもりはなかった。誘われてはいたんだがな。
 ゴンと踊るつもりだと正直に言ったから、怒られると思ったんだが、喧嘩にはならなかったよ。
 怒ってもいいところで怒らないところが、ザックとゴンは似ているな。
 そうだ、彼はどことなくゴンに似ていると昨日も思ったんだが、どういうときだったかな」


そう、思案顔になるクラピカを見上げ、ゴンは切羽詰った声で言う。


「だ、だったら、どうしてザックじゃなくて、俺なんかと」

「俺“なんか”?」


クラピカは咎めるように笑って言う。


「自分を卑下することは良くないぞ。ゴンは素晴らしいのだから」

「そ、そうかな」


ゴンはクラピカに誉められて、照れながらも、内心それは答えになってないな、と思った。
しかし、クラピカは次の言葉に、きちんと返答を用意していた。
ワンピースの裾がはためく。


「…ゴン。センリツ以外、誰にも話していなかったことだ。お前にだけ話そう。
 とはいっても、別に隠すようなことではないから、誰かに話したってかまわんが、
 キルアやレオリオに言うと、あの二人の性格上、
 からかわれたりどやされたりし兼ねないのでな」

「…うん」


ゴンは、ごくりと喉を鳴らした。
繋いだ手が、緊張で汗ばむのを恥ずかしく思った。
クラピカの次の言葉を待つ。



「ゴン。私にはね、恋人がいたんだよ、最近まで」



ノストラードファミリーに居た頃に記憶を馳せる。


彼は厨房のスタッフだった。
私が自室に篭って事務に専念しているときなど、食事を運びに来てくれてな。
ハンターや念とはよほど無縁なところにいる人間で、無骨な男だったが、
そうやって食事を運んできてもらううちに、親しくなり、
次第に彼の明るい人格や優しさに、私も惹かれていくようになった。
幸運なことに、彼も私に好意を抱いてくれるようになった。

しかし、彼には少々卑屈なところがあってな。
よく、ボスの護衛のリーダーである私と
見習いコックの自分とではつり合わないと言っては嘆いていた。
彼はその料理の腕を見込まれて雇われたのだし、
私が新人のガードマンからリーダーになれたのも、
ダルツォルネという前リーダーの殉職という不幸と、
様々な事柄の重なり合いで、いわば成り行き上であったからな。
私は何も気にすることはないと言ったのだが、
なかなかその事実に納得できる男もいないだろう。

しかし、凋落したノストラードは最早お抱えコックを持てるほどの財力も失い、
リーダーであった私や、ヨークシンの事件以降も残っていたセンリツとバショウだけを残し、
他の使用人は全て解雇になってしまったんだ。

そのとき、彼は私にも辞職することを求めた。
あんな危険と隣り合わせの仕事を続けることはない、平凡な家庭を築こうと、言ってくれた。

平凡な家庭。私が一度失って、できることならばまた手に入れたいと願ったもの。
私は彼を愛していたし、彼の言葉は私を歓喜に打ち振るわせた。

しかし、同時に打ちのめされたのだよ。
彼と私の生きる世界の違いに。私はハンターで、既に人も二人殺めている。
旅団は今でも私を追っている。そして、その危害が彼にも及びかねないという事実。
だからといって、私は彼のために目的を失うことはできない。
私がどんなに彼を守ろうとしたところで、私の手が及ばぬということがある。
そんな恐怖には私は耐えられない。ならばいっそ離れてしまったほうが楽だと。
私はそう思った。ノストラードに暇を出されると同時に、彼との繋がりの一切をも断った。

私のような復讐者に、彼のような危険とはおよそ遠いところで生きてきた男は相応しくない。
もう私は私の大切な人を失うわけにはいかないのだ。
また七年前のあの辛さを味わうくらいなら。
もう私の手の及ばぬところで、誰かを不幸にするようなことは御免だ。


それに。


クラピカは少し、申し訳なさそうに笑って、言った。



「私には既に、たとえ私の所為で危険に巻き込んでしまうことになったとしても、
 それでも手放したくない者がいるからな…」



花火が上がった。


おお、と歓声が湧き起こる。
ゴンとクラピカは、燃えるような空を見上げ、そして顔を見合わせた。
クラピカは、ゴンの瞳を見つめて、顔を綻ばせた。



「これは私の我侭だが……たとえ離れていても、私のために危険なめに遭ってしまったとしても。
 ずっと、私を仲間だと思っていてくれるか、ゴン」



―――仲間、か。


ザックに似ていたのは俺じゃなくて、その人だったんでしょう。
ゴンの黒曜石の瞳が、花火の色を映して七色に輝いた。
しかし、ゴンが見ているのは、手の届かない花火などではなく、
本当なら、今もこうして触れていられるくらい、近くにいる人なのに。



どうして…こうも遠く感じてしまうのだろう。



「…うん。勿論だよ、クラピカ」



花火がまた打ち上がる。
古代文字の刻まれた指輪、念の込められた指輪。
あなたを心配していたい。でも俺は。


俺はもう、自分の目の届かないところにいるクラピカを心配していたくない。
できればずっと一緒にいて、俺が守ってあげたい。
でも、クラピカは。



不意に、クラピカはゴンの手を離し、面を伏せた。
支えを失った手は、宙を掻き、何もつかめずにいる。


「…クラピカ…?」


ゴンは、胸の痛むのを感じた。
やっぱり、クラピカは。



「…すまない、ゴン」



金色の髪が、カーテンのようになって、クラピカの顔を隠していた。
クラピカは、手の甲で顔を拭う仕草をした。
ダイヤのように輝く雫が、ひと粒、ふた粒、地面に落ち、吸い込まれていった。


「…先に、戻っている」


そう、くぐもった声で言うと、クラピカは走り出した。


「クラピカ?!」


ゴンは慌てて呼び止めたが、クラピカは振り返らずに走っていってしまう。
足を踏み出したが、思い止まった。
今は一人になりたいはずだと思った。弱さを見せるのを、嫌がる人だから。



―――それに、今追ってしまえば、自分だって。
泣かずにいられる自信がない。ことに、あの人の前では。弱さを見せてしまいがちだったから。



やっぱり、クラピカは。



ずっと、誰かの影を追ってる。
ザックなのか、ノストラードのコックだった人なのか、それとも、クルタ族の誰かなのか。
自分の手で守ってやることのできない人のことを。


小指の指輪を見てみた。
そこに填まっている石はルビーのはずなのに、ダイヤのように透明な輝きを放っていた。









to be continued.
20081012




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