レオリオの結婚式以来、ぐずついた天気が続いていた。
三人とも、もうこの国に用事はないはずだったが、なんとなく滞在を続けていた。

ハンターライセンスのお陰でビザの期限は無い。
ゴンは、こうして一緒に穏やかな時間を感じられるのはハンター試験以来のような気がする、
そう言って浮かれていた。

穏やか?ハンター試験が?
キルアは首を傾げ、
ヨークシンシティでも会ったではないか。
クラピカは苦笑した。

確かに、キルアにとってハンター試験は過酷なものではなかったし(ある意味で最終試験を除き)、
どちらかというと、ゴンと二人で飛行船の中を探検したことなどのほうが印象深い思い出であったが。
しかしもうゴンもキルアも、探検ごっこで楽しめるような子供とは言えなくなってきていた。

ハンター試験のときとヨークシンで再会した時には居た、もう一人の男の存在が欠けていることを、
今、この、クラピカのいる空間で口に出すべきではないと悟れるくらいには、大人になっていた。

そんな二人の心遣いを、クラピカはくすぐったく感じた。


あの日以来続いている雨は、幸なのか不幸なのか。
そんな問題など小さなことと思えるほどに。









あの日、傘をささなかった理由(わけ)










ゴンが何かの曲を、スキャットで歌っていた。
キルアはあからさまに不快をあらわにして、眉根を寄せた。


「何だよその歌、聴いた事ねーな。音痴だし」

「うわー、キルアに音痴とは言われたくないな。
 こないだセンリツさんに歌で女の子を口説こうとしちゃ駄目だって言われたばっかりじゃん」

「おまえ…」


言うなよ、クラピカもいんのに。

と、続けてしまいそうになり、キルアは口を噤んだ。
まるで、クラピカに自分が音程をとることが苦手であることを知られたくないみたいで。
女を歌で口説こうとしたと勘違いされることも、何となく嫌だったし、
センリツと会ったのは披露宴のときだったから、あの日のことを思い出させるのも気が引けた。

しかし、それらは全てキルアの取り越し苦労だったようで、クラピカはくすくすと笑っていた。
それは、長らく続く雨の所為で聴こえてこない、小鳥の囀りのようであった。

まだ国内にいるのならばうちに泊ればいいだろう、というレオリオの提案を、
折角美しい国なのだから、国内を観光がてら様々なホテルをとりたいというキルアの提案が退けた。
それは決して十割方の断り文句ではなく、実際三人はあてもなく国内をぶらぶらしていた。
チェックインからチェックアウトまでホテルに三人ともこもっているときもあれば、
ぶらぶらと散歩に出かけ、ひっそりしたカフェなどを見つけては、
紅茶やペリエとデザートやサラダのセットを頼んだりして、それだけで何時間も居座ったりした。
毎日これを続けていればさすがに金もかかるが、三人とも職業柄、ほどほどに財布は潤っていた。

今日選んだカフェは一見、営業しているのかどうかも分からない外観だったが、
店内に一歩足を踏み入れると、典型的なこの国のアンティーク家具で内装を彩られた、
数本のキャンドルだけが照明の、静かで落ち着く空間だった。


「この曲、こないだ行った喫茶店で流れてたじゃん。忘れた?」

「喫茶店……ああ」


キルアは、ゴンが口ずさんでいた曲こそ思い出さなかったが、喫茶店、という単語にぴんときて、目を細めた。
そして、最近のゴンはとことん無神経だな、と心の中で毒づいた。


「喫茶店?」


クラピカが小首を傾げた。


「こないだ三人で行ったところだよ」


キルアは答えたくなかったが、ゴンが答えるよりかましだろうと思い、言った。
それにしても、なぜ自分はこんなに気を使っているんだろう。
クラピカに対し、レオリオにまつわることで。


「可愛い歌だったじゃん。俺あの店でかかってた曲であの歌が一番好きだったな」

「よく覚えてんなあ、そんなの、おまえ」


俺はあの女の悲壮感漂う女の歌しか覚えてねーけど。
キルアはまた言葉を飲み込んだ。

確かあの曲の女と、あの時のクラピカは、よく似ていた。

何も考えたくないのに、現実を受け止めなければならなかったあのとき、
きっと、クラピカも、あの曲に耳を傾けるしかなかっただろう。
その証拠でもあるかのように、クラピカは、あの店で明るい曲など流れていたか、と思案顔だった。


「んーん、明るいって感じの歌ではなかったかなあ」


ゴンは歌の内容を詳しく思い出そうとして、宙を睨みつける。


「なんか妖しい感じっていうか。あ、そうそう。
 確かこんな感じの歌詞だった気がする」


周りは私のことを、まだ恋を知らない、彼がいないって言うけど、
でも私が通りを歩けば男の子たちは手をふるよ。


「これって、どういう意味かな?」

「私は恋人はいないけど通りを歩けば男にモテモテよって意味だろ?」


首を傾げるゴンに、キルアがソファに背を預け、ふんぞりかえって言った。
クラピカは紅茶の入ったカップから口を離し、苦笑した。


「しかし、それは何だかその女性の強がりに聞こえなくもないな」


そう言って、再び紅茶に口をつけた。
ゴンは、色んな解釈ができて面白いね、と言って笑っていた。
全く、呑気なヤツ。キルアは呆れて溜息をつきそうになりながら、
ちら、とクラピカの横顔を盗み見た。


白い輪郭を縁取る、金糸の髪。
もし、俺とクラピカが全くの赤の他人だったとして。
彼女と町ですれ違うことがあったら。

俺は、彼女に手を振るのだろうか。
もし、振ったなら。それを見た彼女は、自惚れたりするのだろうか。

キルアは自分の考えていることに気がつくと、一人ばつが悪くなり、俯いた。
考えたって仕方のないことだった。




カフェを出ると、小雨がパラついていた。
ゴンが、その雫を手の平に受けるようにして、空を見上げた。


「あー、やっぱり降ってきちゃったね」

「だから傘持ってこようって言ったじゃねーか」

「キルアだってめんどくさいって言って持ってこなかったんだろ!」

「何だと!」

「こらこら、やめないか、二人とも」


一触即発のゴンとキルアにクラピカは年上じみて笑いながら、傘立てに立てておいた白い傘を取った。


「一本だけならある。よかったら二人で使わないか?」


そう、親切心に言って傘を差し出すクラピカに、
キルアとゴンは眉をあげ、目を据わらせると、お互いを忌々しげに睨みつけた。


「さすがに、男と相合傘する趣味はねーな」

「同感だね」

「それじゃあ」

「勝負だ!」


言うが否や、二人は素早く、最初はグー!と言って、手を引っ込めた。
そんな二人のやり取りを、クラピカは目を点にして見ていた。


「ジャンケン!」

「ポン!」


キルアが一瞬、両手を同時に出す仕草をしたとき、ゴンの目が動顛して揺らいだ。
ゴンがグー、キルアがパーで、勝負がついた。
ゴンは頭を抱えて、叫んだ。


「あーっ!まさかそれを使うなんて!」

「久々のジャンケンだからって油断したな。対ゴン用の秘密兵器、俺は忘れてなかったぜ」


そう得意になって言うキルアに、クラピカは笑った。
そういえばずっと前に、ゴンからジャンケンの必勝法を教わったことがある。
動体視力を生かした方法で、確かレオリオにはできなかった筈だ。

そう思って、クラピカははっとした。
胸が痛んだ。あの頃は、まだ。
レオリオは誰のものでもなかったのに。


「どうかした?」


キルアがクラピカの顔を覗き込むようにして、見た。
クラピカは俄かに記憶の彼方から己を取り戻し、顔を上げた。薄く微笑む。


「いや、なんでもないよ」

「そう?」


キルアは自然な仕草でクラピカの手から傘を取り、広げた。
隣に入るようにクラピカを促すと、にっと笑った。


「あんなガキは水溜りでも踏みながら帰ったらいいんだよ」


そう諧謔を弄する言い方をして、歩き始めた。
クラピカは思わずくすりと笑い、前に向き直ると、
ゴンがしょんぼりと肩を落としながらも、しっかりと水溜りを蹴りながら歩いていた。


「…どこかで傘を買っていくか?」

「いや、このへん傘売ってるとこないし、だったら走って帰ったほうがいいんじゃね?」


キルアは言うなり、声を張り上げた。


「おーいゴン!濡れちまうだろうから、走って先行っててもいいぞ!」


ゴンは水溜りを蹴るのをいったんやめ、振り返ると、手を大きく振り、走り出した。
そんなゴンの背中を、クラピカが気遣わしげに見つめる。


「…一人で帰らせては可哀想じゃないか?私たちも傘を閉じて走るか」

「えっ、やめとこうぜ。あんたが濡れて帰ったらゴンが怒るよ。あいつ、あれでフェミニストだからさ。
 そういうんだったら、俺一人で走ってくよ」


そう焦ったように言うキルアに、クラピカは不思議そうに、目を丸くした。
でっけえ目だな。キルアはそう思いながら、知らずのうちに、その目に見入っていた。
俺とゴンも目は大きいほうだけど、この人のは瞳孔は瞳孔で大きくて、
それでいて白目の面積も広いんだもんな。

キルアは、はたから見ると見つめ合っているようになっていた自分らに気がつき、
さっと顔を赤らめて、そっぽを向いた。

キルアが赤面していることを知ってか知らずか、クラピカはふと微笑み、前に向き直った。


「…それじゃあ、折角だからキルアには私のほうに付き合ってもらうか」


クラピカがそう言った後、街に漂う景色と音が際立った。

ここのところの不安定な天気の所為で、街全体が灰色に染まっていたが、
白壁の美しい建築物の立ち並ぶ街並みは、それだけで芸術といえた。
遠くのチャペルの鐘が、今日は大人しく雨に打たれている。
ああ、レオリオの挙式から、どれくらい経ったのだっけ。

ふと、キルアは思い立ち、隣のクラピカを見た。


「そういや、折角海沿いの街なのに、一度も海見てねぇな、俺ら」


レオリオが挙式を挙げたチャペルは、海を臨める立地ではあったのだが、
あれでは海へ立ち寄ったとは言えないだろう。
クラピカは、きょとんとしてキルアを見上げた。


「…言われてみれば、そうだな。天気の悪い日ばかりが続くから、思いつきもしなかったが」

「これから行ってみない?」

「この雨の中か?」


クラピカは口を歪めて笑ったが、その目はまんざらでもなさそうに輝いていた。
キルアはデニムパンツのポケットに手を突っ込んで、肩を竦めた。
そわそわと、身体を揺らす。


「行こうぜ。歩いて行ける距離だし」

「ゴンはどうする」

「ほっとけよ。海が俺を呼んでる」

「何言っているんだ」


クラピカは呆れたようにしながらも、キルアの足取りについていった。




成程、歩いて十五分ほどで着いた海は、白く泡立つ波打ち際がなければ、
海水と砂浜との境が分からぬほどに黒く淀んでいた。
こう近い場所でロングステイでもしない限り、わざわざ足を運ぶような気分にもならなかったろう。
ゴンやレオリオと違い、海からはほど遠い山奥で暮らしてきたクラピカとキルアにとっては、
これは珍しい海の風景だった。


「うーん、やっぱり天気の良いときのようには綺麗じゃねーな。
 見ろよ、こんな日にサーフィンしてる酔狂な連中がいる」


目陰をさして、波乗りたちを見ながら、キルアはそう言って笑った。


「こういう天候の日のほうが、波が高くていいらしいぞ。
 まあ、それで救助隊を呼ぶような事態を招くこともあるのだから、あまり誉められたものではないがな」

「ビーサン履いてくりゃよかった」

「入るつもりか?」

「勿論」


言うなりキルアは傘をクラピカに預け、スニーカーを脱ぎ捨てた。
途方に暮れているクラピカを置いて、キルアは波打ち際に向かって走り出した。
しかし、水に足をつけるなり、なにか叫んで、再びこちらへ走り戻ってくる。


「だめ、冷たい。あいつら良くこんな中サーフィンなんてしてられるな」

「まあ、慣れなのだろうがな」


にっと、意味深に笑むと、今度はクラピカがキルアに傘を預けた。
スリッポンのような形をした靴を脱ぐと、波打ち際に向かって走り出す。

キルアは、珍しいものを見る思いで、クラピカの背中を見つめた。
そういえば、今日のクラピカはいつもの民族衣装を着ていない。
別にあれが悪いというわけではないが、今日のような、ホワイトデニムのパンツに淡い色のシャツ、
という服装のほうが、街に溶け込みやすいという意味でも、良いような気がした。

あっ、とクラピカが声をあげた。
何かしくじったらしい。らしくねーな、とキルアは思わず含み笑いをする。
苦笑しながら戻ってくるクラピカを、そのままの笑顔で迎えた。


「どうしたんだよ?」

「やれやれ、裾が濡れた」

「今更それ位気にすんなよ」


言うやいなや、キルアは傘を放り投げ、右腕をクラピカの肩に回し、
左腕を膝裏に入れて、その身体を抱え上げた。
クラピカは、驚きと焦燥と羞恥の悲鳴をあげた。


「何をする?!」

「さー、何でしょう」

「お、下ろせ!重いだろう!」

「俺が試しの扉をいくつまで開けたのか、知らないの?」

「そ、そういう問題じゃ、大体人が見て」

「いっくぜー」


キルアはいたずらっぽくそう言うと、突如として海に向かって走り出した。
まさか、と思い、クラピカは身体を強張らせる。


「おい、キルア!何を考えている、やめろ!」

「全身濡れりゃズボンの裾が濡れたくらい気にならねーよ!」

「馬鹿者!おいよせ、よせったら!やめろキルア!」


クラピカはキルアの腕の中で必死にもがきながらも、
どこかから、何故か笑いのこみ上げてくるのを感じていた。

そして、ついに、キルアの足が波の蹴り上げる音が響き、
彼の足が膝上まで濡れただろうところまで来た。
クラピカは抵抗を止め、覚悟をして目を固く瞑った。

しかし、いっこうに放り込まれる気配はない。
そっと、目を開けてみると、悪戯が成功した子供の笑みが、眼前にあった。
クラピカは唇を噛んだ。頬骨が持ち上がる。


「騙したな」

「いくら俺でもそこまでヒデーことしねーよ」


そう言い、クラピカの身体を下ろす。
ざぶん、と彼女も太腿の付け根まで浸かった。
顔を顰めて、濡れたズボンを見るクラピカ。
キルアは事も無げに、肩を竦めて言った。


「まあ、しても精々、この程度」

「…十分悪質な悪戯だ」


クラピカがそう言って顔をあげかけたとき、波が二人を襲った。
二人同時に、声を上げる。見事に下半身が全てびしょ濡れになった。


「…最悪だな」

「…すみません」


しかし、言葉とは裏腹に、二人は顔を見合わせると、堪えきれずに笑った。
浜へ向かって歩き出す。足に纏わりつく海水が少し暖かく感じた。


「まあ、よかったよ。笑えるようになってさ」

「…私は今まで笑えてなかったのか?」

「自分でだって気付いてなかったわけじゃないだろ?ちゃんと笑えてないことくらい」

「…すまない。おまえも意外と気を使うタイプだったのだな」

「いちいち切り返しが厭味だなアンタは」

「これでも感謝しているのだよ」

「…ま、何にせよ良かったよ。厭味が言えるくらい元気になったんならさ」


そう言い、キルアはそっぽを向いた。

幸い、傘はどこへも飛んでいかず、靴を脱いだのと同じ場所に、所在なげに転がっていた。
二足並んだ靴と、その傍らに寝そべっている開いた傘を、ぼんやりと見つめていたら、
クラピカはつい、濡れた砂に足をとられた。

おっと、とキルアが慌ててクラピカの手を取った。
そして、困ったように苦笑する。


「やっぱり元気ないんじゃないの?そんな何もないところでアンタがコケるなんて」


キルアの言葉に自嘲気味に笑いながら、クラピカは体勢を立て直した。
そのとき反射的に、ぎゅ、とキルアの手を握る手に、力がこもった。

ただ、体勢を立て直すために込められた力だったのだが、
キルアの胸は一瞬、張り詰めた。

男とも対等に渡り合えるほどの使い手なのに、その掌の柔らかさは、やはり男とは違っていた。
キルアは気付かれぬ程度に、クラピカを支える手に力を込めた。


「ありがとう」


そう礼を言い、キルアの手を解こうとしたが、何故かキルアが離す様子を見せなかったので、
クラピカはどきりとした。しかし、クラピカも何も言わず、それに従った。

靴のある場所へ行くまで、手を繋いだまま歩いた。
どちらも俯き、何も語ろうとはしなかった。

ことに、クラピカはキルアから目を逸らしていた。
今更、気付きたくはなかった。自分が女で、キルアは男であることなど。
その思いは、キルアも同じかもしれなかった。

事実、キルアもまた、困惑していた。
何故だろう、離せばいいのに。
クラピカは誰かの手に縋っていなきゃまともに歩けないような、自立心のない女ではない。


靴の元までたどり着くと、どちらからともなく手を離した。
お互いの掌に、自分のものではない温もりが残っていた。


「どっか水道でさぁ、足洗ってこーぜ」


キルアの、場に不似合いなほどくだけた声が、二人の間に流れる時間を、元に戻した。
クラピカは、はっとしたように顔を上げた。


「ああ、そうだな。やれやれ、結局雨と海水とで全身びしょ濡れだ」

「ゴンが怒るだろうな。何で俺も連れてってくれなかったんだ、って言って」

「だろうな」


クラピカは笑い、そしてすぐに真顔に戻った。


どうして二人きりで行ってしまったんだと。
ゴンに尋ねられたら、何て答えよう。
キルアは、何と答えるのだろうか。


「…くれぐれも風邪はひかないでくれよ。俺がゴンにどやされるからな」


キルアの皮肉めいた声に、クラピカは眉をあげた。
先程のことなど、まるでなかったような声だった。
あのとき流れていた時間は、確かに、今までの二人の間に流れていた時間とは違ったと。
彼も感じていた筈なのに。手を離さなかったのは、確かに彼のほうだったのに。

クラピカは、くっと喉を鳴らした。


「元はといえば、お前の所為だろう」


そう言い、靴を拾い上げて、キルアのさす傘の中へ身を滑り込ませた。


何も、意味なんてなかったのかもしれない。


手を繋ぐことなんて。









to be continue.
20081021




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