それは随分と久しい再会だった。
それも、思いがけないことがきっかけで。
おそらく、こんな形で四人が再会することなど、
当のレオリオ以外の三人は、予想できなかったであろう。
いや、ひょっとしたら、レオリオでさえも。
あの日、傘をささなかった理由(わけ)
皮肉なのか何なのか、ゴンが「次に合うときはお医者さん」の台詞が現実のものとなってしまった。
キルアは、あのときゴンがあんなことを言わなければひょっとしたら、と悔やまれた。
目の前でぬるくなった紅茶をすすっているクラピカも、
いま、ゴンが過去にそんなことを口にしてしまっていたなんて知れば、
驚き呆れて不味いものをあえて口にしてこの場をやり過ごすことも忘れるだろう。
それとも、そんなことは考えすぎなのかな、
やり過ごさなければならない気まずさを感じているのは俺だけなのかな、
いや、そんなはずはない、
そんなことをぐるぐるとずっと考え続けている。
あの、鈍感で時折無神経なゴンでさえ、ずっと俯いて考え込んでいるようだし。
キルアもクラピカを真似て、好きでもないコーヒーを無理に飲み下した。
小ぢんまりとした喫茶店の古びて黄ばんだ窓硝子を、
小さい、けれど沢山の雨粒が、控えめにノックしている。
その自然の音の合奏が、いっそうこの重い空気をしとりと濡らす。
窓の側に置かれた植木鉢の花が、
硝子の外側の水を手の届かない存在と知りつつ欲すように、項垂れていた。
バックグラウンドミュージックは、なんだか悲壮な女性を歌うジャズ。
暗い照明に茶色く照らされた店内にゆらゆら漂う歌声とメロディは、
雨の伴奏が加わってより切なく胸に響く。
なんでこんな店を選んじゃったんだろう、ごめん。
キルアは心の中で、誰とも無く謝罪した。
いや、クラピカに対して、だろう。
本人にばれない程度に、キルアは横目にクラピカを見た。
クラピカって案外、けっこう、美人なのにな。
しかしキルアは、クラピカがこういう結果になるまで、
彼女が美しいということに気がつかなかったのだ。
女は不幸になると色気が増すっていうけど、そういうことかな。
現実逃避をしたくて、キルアはそんなことを何とはなしに考え続けた。
「雨がひどいな」
沈黙を破ったはずのクラピカの声は、
しかし沈黙よりもさらに静かに感じるほどのものであった。
雨はけっして、ひどい、というほどの激しさは伴っていない。
しかしキルアとゴンは、そうだな、そうだね、と同意するしかなかった。
同時に発せられてしまったその肯定の反応に、クラピカは笑う様子も見せなかった。
けっして顔には出さないが、
キルアもゴンも、クラピカがショックを隠さない様子に、内心驚いていた。
まだあまり恋を知らない、まして結婚なんてまだまだ先のことと考えているキルアには、
恋をする女性というのが一体どういう状態になってしまうのか、分かりかねた。
パームの例はあまり参考になるようなものでもないし、
ゴンもゴンで、女性とデートしたことがあるとは言っても、
あまり自分の気持ちが絡んでいたとは思えない。
実際、今も困り果てて、クラピカにかける言葉を考える余裕さえもない様子だ。
キルアもゴンも、てっきり、クラピカとレオリオはいわゆる男女の関係にあるものだとばかり思っていた。
それがまさか、レオリオが同じ大学の医学部に通っていた女性との結婚式を挙げる、
という名目で呼び出されるとは。
つまり、まるっきり、クラピカの一方的な片想いだったということだ。
レオリオと、その医学部の女性というのは、何でも大学に入った当初から交際していたそうだった。
そのことを、キルアもゴンも、クラピカでさえ、知らなかった。
レオリオ曰く、照れ臭くて言い出せなかった、ということらしい。
確かに、わざわざ知らせるほどのことでもないかもしれないが。
実際ゴンも、パームと付き合うことになったとき、特に誰にも知らせはしなかった。
しかし、クラピカにも黙っていたというのは。
―――いや、レオリオはずるいわけじゃない。単に鈍感なだけだ。
ゴンと同じように。
誰に対しても分け隔てなく優しく、厳しい。
レオリオがクラピカに対して見せていたのは、ゴンやキルアに対する優しさと同じ。
本人としては女性として特別扱いしたつもりもなかったのだろう。
ゴンにとってキルアがセーブ役であるように、
クラピカにとってのセーブ役を、レオリオは担っているつもりだったのだ。
でも、もし。
キルアは思った。
もし、今日結婚した彼女、いや奥さんと、クラピカが、同時に病や怪我で倒れたとき、
レオリオはいったい、どちらを選ぶのだろうか。
キルアはその考えを振り払うように、頭をゆるく振った。
もしそうなったときは、自分とゴンでクラピカをなんとかしてやらなければ。
レオリオは今、新しい家族を守らなければならないのだから。
「でも俺、驚いたよ」
ゴンが口を開いたので、キルアは嫌な予感がした。
ゴンが妙なことを言ってしまった場合、それをフォローするのはいつもキルアの役目だった。
「レオリオはてっきり、クラピカをお嫁さんにするんだとばかり思ってたからさ」
「おいゴン、変な事言うなよ」
咄嗟にゴンの言葉を制する。
キルアは最近、こういう役回りを少々損に感じていた。
それでも今、こう言わずにはいられなかった。
しかしクラピカは、思ったほどその言葉に傷ついたり、動揺した様子は見せなかった。
一瞬、肩を引き攣らせはしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
少し、自嘲の色を伴いながら。
「…そうだな。私も、そう思っていた、かもしれない」
クラピカはティーカップをちらと覗いて、もう空なのをみとめると、
そっとテーブルの端によせた。
「しかし、世の中にはいるんだよ、ああいう、誰にでも分け隔てなく優しくする男は。
ゴンがそう思うのも無理は無いほど、私は彼に救われたからな」
クラピカの言葉は、レオリオに対して敬意を示しているようにも、
彼の行動や言動を揶揄しているようにも聞こえた。
いや、両方の意味を込めて、彼女はあえてそう聞こえるように言っているのだろう。
「だからいいんだ」
ウエイターが―――いや、オーナーだ。客が少ない平日は一人で切り盛りしているようだ。
テーブルの端のティーカップをとりに来た。クラピカは軽く会釈した。
そして、紅茶色の瞳で彼が去るのを見届けてから、もう一度、言った。
「もういいんだ…過ぎたことは」
過ぎたこと。
その言葉を聞いたとき、キルアは無性に悲しくなった。
クラピカがレオリオとのことを過ぎたことにしてしまうのが悲しかったのか、
もういい、と言いながらその声の端々に滲み出ている哀愁にほだされたからそう感じたのか、
キルアには分からなかった。
そして、今日この日のためにフォーマルな装いで着飾ったクラピカを、あらためて綺麗だと思った。
喫茶店を出る前に、クラピカの携帯が鳴った。レオリオからだった。
キルアとゴンには、内容までは聞こえなかったが、クラピカの曖昧な受け答えで、
久々に会ったんだから三人ともうちに泊っていかないか、というようなことを言っているんだろうと察した。
おそらく、クラピカ自身は気乗りしないが、ゴンとキルアだけでも、と思っているのだろう。
キルアはそれとなく、俺にかわって、というサインを出した。
それに気付くと、クラピカは躊躇いがちにだが、キルアにかわると告げて彼に携帯を差し出した。
「あ、おっさん?うん俺。うん、うん、おめでとー。よかったよかった。え、ああ、うん、うん…いやいや。
え、あ、あ?ああごめん、俺もゴンもクラピカもホテルのモーニング予約しちゃってるし。
…ん?んー、そうしたいところだけど、ハンター協会直営のホテルだし、
前日の夜キャンセルとか気まずいからさ。
それに新婚初夜くらい二人で過ごしなよ。…えー?…このやろ。あははは、うん、うん…
あ、じゃあごめん、タクシーきたから、またこっちから電話するよ。うん、またな。はいはい、そちらこそ。
あ?いやそんなことないって!いやいや、はいはい。うん、ん、じゃーね。はーい、また。はい」
キルアは携帯を耳から離すと、液晶画面を確認してから切った。
番号の上に表示されていた、レオリオの名前。
クラピカの携帯には、彼の名前がフルネームで登録されていた。
キルアははじめて、レオリオのファミリーネームを知った。
液晶から目を離すと、クラピカがじっとこちらを見つめていた。
小さい口が微かに動いた。ありがとう、と言っているのだろう。
答える代わりに、キルアは薄く微笑んだ。
三人で傘をさして、雨に濡れたアスファルトを歩いた。
ゴンはキルアとクラピカのずっと先を、水溜りを踏みつけながら楽しそうに飛び回っている。
「あいつ、いくつになってもガキくせーな」
「まあ、そこがゴンのいいところなのだろうな」
クラピカはくすくすと笑いながら言った。そこには安堵の様子さえあった。
その声を背後に感じながら、キルアは彼女が笑ったのは本当に久しぶりなんじゃないかと思った。
こんなふうに三人で一つの道を歩くのは初めてかもしれない。
滅多に会わないが、深いところで繋がっている四人は、
久々の再会でお互いの成長に驚きはしても(レオリオはあまりかわっていなかったが)、
違和感を覚えることは全くなかった。
ゴンは相変わらず無邪気だし、クラピカは落ち着いているし、キルアはクールだ。
しかし、レオリオだけは、ちょっと変わったかもしれない。
寧ろ、結婚したのだから、今までのままではいけないのかもしれないが。
クラピカは目の前で、まだ、あいつスーツが死ぬほど似合わねー、
せっかく仕立てたのにびしょ濡れだあのバカ、
などとゴンに対して毒づいているキルアを見上げた。
そう、もう、見上げるようになってしまったのだ。
女としては背が高いほうであるはずの、自分でさえ、そのように。
「…しかし、お前も相変わらずのようだな」
「は?!」
その言葉に、キルアは心外だ、とでも言うように振り返った。
ずっと、女にしちゃ背が高い、と思ってきたはずのクラピカが、何故か小さくキルアの目に映る。
彼女が前より少し筋肉も落ちて痩せたのと、彼女自身の疲れが、そう見せるのかもしれなかった。
いたたまれなくて、キルアは些細な怒りを更に削がれたが、それを悟られぬよう、あえて声を荒げた。
「やめてくれよ、俺もあんなガキのまんまだっていうのか?!」
「そうやってムキになるところが」
そう言われると、キルアは蒼いまでに白い頬を少し赤くして、前に向き直ってしまった。
もう、ゴンのことをあれこれと言うのはやめてしまった。
そんな様子を見て、クラピカは目を細める。
「嘘だよ。背が高くなったし、少しは男らしくなった」
キルアは少し間を置いて、少しは?と不満げに言った。照れ隠しのようだった。
暫く、沈黙を雨音に支配された。
先のほうで、水溜りが跳ね上がるぱしゃんという音が響いている。
キルアは何となく、そのなかに自分の心音も混じっているような気がした。
静かな中で、跳ね上がるように、漣だっている。
「…さっきの電話」
その音楽にのせるように、滑らかな声が暗い道にたなびく。
漣のような自分の心音が、一瞬、津波のように押し寄せてくるようにキルアは感じた。
「…ありがとう。助かった。嬉しかったよ。本当に、男らしくなった」
キルアはいよいよ何と答えたらいいのか分からなくなり、急に、早足になった。
クラピカも慌てて追いかける。
そうすると、キルアは余計に、無理に早く歩くのだ。
そして、ついにはゴンに追いつき、
おい、いつまでそんなことやってるんだ、子供じゃないんだから、
などと父親じみたこをと言うのだ。案の定、ゴンは不満そうにする。
クラピカはくすくすと笑いながら、自分が随分と久しぶりに笑っているのを感じた。
どんなにスーツが似合っていても、背が伸びても、水溜りを踏みつけて遊んだりしなくても、
クラピカの目には、キルアのほうがずっと幼く映った。
to be continue.
20070615
ブラウザバック