「―――だから私は言ってやったのよ。
私が好きなのはあんたの金であってあんたじゃない、ってね!
だって私はロンガデセオで一番のバーレスクダンサーなのよ。
それはつまりロンガデセオ一の女ってこと!
その私が、たった一回寝てやったってだけで
あんな髭もじゃのハイオークみたいな男に我が物顔されちゃ、たまったもんじゃないわよ!」
「でも金は持ってたんだろ?」
「金持ちっていったってね、とんでもないケチよ!
あいつの所有してる小劇場でね、あいつのコネたちを観客に、
私に踊れっていうのよ!ノーギャラでよ?
たった一回寝たってだけで、信じられる?!」
「よせよサンドラ、シンディーもいるのに」
緩やかに波打つブロンドをもつ、色の白い十二歳くらいの少女が、
目をぱちくりとさせ、目の前の男女を見ていた。
テリーは葉巻の煙を時折吐き出しながら、
サンドラと呼んだ女のコルセットを締め上げた。
少しきつく感じたのか、サンドラは眉を顰めたが、
それについては文句を漏らさなかった。
「ねえ、そのシガーやめてよ、匂いがきついわ。
楽屋で吸うのはやめるか、シガレットにするかして」
テリーは聞き流す素振りを見せたが、コルセットの紐を結び上げると、
サンドラの刺さるような視線に降伏を示すように、灰皿、と短く言った。
誰かしらが灰皿をどこからともなく取ってきて、二人の映るミラーの前に置いた。
テリーは短く礼を言うと、灰皿の底で葉巻の火を消した。
「ダンサーを顎で使う男なんて、あんたくらいのもんよ」
サンドラが非難がましく言う。
テリーは悪びれる様子もなく、口の隙間から煙を吐いている。
「楽屋で雑役させられる男も俺くらいのもんだと思うがな」
「私から情報を貰っておきながらお金がないなんて言うんだもの、
払えないなら実働で補わせるのはなにもこの街に限らず世界共通のルールだわ、
あんたなんて優遇されてるほうよ、
楽屋なんてどんな熱烈なファンだろうが男は本来出禁なんだから」
皮肉で返したテリーに、サンドラは説教がましく言う。
言いながら、それでも鏡から顔は外さずに、熱心に化粧直しをしている。
「興味ないな。こんなことならホックに顎で使われて三日三晩寝ず食わずでも、
そっちのほうがマシだったよ。俺がここに来て一体何週間になる?
俺にはのんべんだらりと過ごしてる時間はないんだ。
…あんた、煙草一本くれないか」
赤毛のダンサーが屈託のない笑顔でテリーにシガレットケースを差し出した。
相手がバーレスクダンサーという職に不似合いなほど無垢な笑みを見せたからか、
あるいは彼女が赤毛だからか、テリーも自然と笑顔になり、差し出されたそれを受け取った。
サンドラはすっくと立ち上がり、華麗とも言えるほどのターンでテリーを振り返ると、
赤く塗られた指先で彼を指差し、厳しい口調で言った。
「だったら、のんべんだらりと煙草を吸うのもやめることね。
言っておくけど、酒と煙草代は給料から天引きしておくわよ」
サンドラが合図を出すと、その場にいたダンサー全員が立ち上がった。
各々に談笑したり、ぶつぶつ独り言を言ったりしながら、楽屋を出て行く。
何人かは、テリーに向かって意味ありげにウインクしたり、投げキッスをしていったり、
これ見よがしに彼の耳に何かを囁いていったりする者もあった。
その中にはシガレットケースの赤毛もいた。
テリーはそれら全てに曖昧に相槌を打つだけだったが、
赤毛にだけは、少し好意的な表情を見せた。
全員退室したところで、ドアの隙間からひょこりとサンドラが顔を出し、
「テリー、シンディーを頼んだわよ。給料分、きっちり言われたとおりにしてね」
先ほどと変わらぬ厳しい口調で言う。
そして、シンディーのほうに視線を移し、
それじゃあね、マイスイート、と打って変わって甘い口調で言い、投げキッスを残すと、
早足に舞台のほうへと駈けて行った。
「……さすがロンガデセオ一の踊り子、厳しいお言葉」
テリーはそう肩を竦めるようにして言ったが、頂いた煙草は有難く頂戴した。
うまそうに煙草を吸うテリーの姿を、幼いシンディーの目が、無邪気に見つめていた。
You're my
cake,chocolate and cream puff.
私はあなたの別れた恋人
だから何をしたって構わないでしょ
たとえあなたと別れて涙をした
その次の日に他の男とキスをしたって
それはあなたには関係のない話
だって私はあなたの別れた恋人
今は昔の恋人
「シンディー、そんな歌を歌うな」
日のおちかかったロンガデセオの街並みを二人は歩いていた。
テリーは繋いでいた手を離し、シンディーの頭をぽんと叩いた。
シンディーは顔を上げて、丸い無垢な瞳でテリーを見た。
こうして見ると、ますます母親のサンドラと似ていた。
白い肌と見事なブロンド。
テリーにとってそれは姉を連想させもしたが、姉とはまた違った美しさだった。
サンドラが十五のときに当時の店のオーナーとの間にできた子供だという。
サンドラとだいたい同い年の姉が未婚であるうえに、
自身も既に二十を過ぎたテリーにとって、
あまり実感の湧くような話ではなかった。
しかし、こうしてシンディーと触れ合っていると、
自分に娘ができたらこんな感じなのかもしれないと想像された。
「この歌、よくないの?よくママがショーのために練習している歌よ」
テリーは困ったように笑った。
「サンドラが悪いんじゃない、ただその歌を歌うには、シンディーはまだ子供すぎる」
「私もう十二歳よ、子供じゃないわ」
そう言い、シンディーは丸い頬を膨らませた。
そういう仕草が、彼女を余計に幼く見せる。
母がバーレスクダンサーという環境で育っていながら、
十二という歳で彼女がまだここまで無垢でいられるのは、
サンドラの育児の賜物と言えるだろう。
テリーは笑って、ふと足を止めた。
不思議に思ったシンディーも、つられて足を止める。
「とんだ無礼をお許し下さい、レディー」
そう、ふざけた口調で言い、古風で慇懃な辞儀をしてみせると、
テリーはシンディーをひょいと抱きかかえた。
急に体が宙に浮き、シンディーはキャーキャーと喚きながらも、楽しそうに笑った。
子ども扱いをされるのを嫌いながらも、こうして腕に抱かれることはやはり嬉しいらしかった。
頭上では、家と家の窓の間を橋渡しにして洗濯物を干していた女が、
せっせと衣服を取り込んでいた。
その女に向かって、シンディーは指を口に銜えて、口笛を吹いた。女が振り向く。
「エキドナおばさん、喉が渇いたの!」
そう言うと、エキドナと呼ばれた女は取り込んだ衣服を抱えていったん奥に引っ込んだ。
ふたたび顔を見せたとき、その両手にはオレンジが握られていた。
合図を送りながら、それをこちらにむかって投げてきた。
シンディーは両手で一個、テリーは片手でもう一個をキャッチした。
二人で礼を言うと、エキドナは笑顔で軽く手を振り、奥へ消えていった。
「テリー、ナイフある?」
「ある。けど、危ないから俺が剥く」
「いいわ。私を下ろさないとできないでしょ?私がする」
テリーは躊躇ったが、
シンディーが口に出したことは何が何でも曲げないことを知っていたので、
諦めて腰をかがめ、革のブーツに仕込んであったナイフを取り出し、
柄をシンディーに向けて差し出した。
テリーは腕の中のシンディーの手つきをはらはらと見ていた。
何かにつけて、危ない、気をつけろ、と口を出すテリーに、
シンディーは、まるでパパみたい、と言って笑った。
オレンジの皮は、通りがかりの露店の店番に渡すと、快く受け取ってくれた。
そろそろ食材を売る店は、店じまいの時間だ。
「夕飯はどうする?オレンジだけじゃ足りないだろ」
「パンケーキが食べたい。ママ怒るのよ、パンケーキを夕飯になんて、って」
「そりゃあ、な。夕飯に食べるようなもんじゃないな」
テリーはオレンジの果汁でべたべたになった指をぺろりと舐めながら言った。
そんなテリーの仕草を、灯る街の明かりに揺れる瞳でシンディーは見ていた。
不意に、たまらなくなったように、テリーの首っ玉にかじり付く。
同じ年頃の子供より少し線が細めだとはえ、
身長もある程度まで伸びているシンディーに突然しがみ付かれ、
さすがのテリーも少しよろめいたが、
すぐに体勢をたてなおし、彼女の身体を抱えなおした。
「どうしたんだ、甘えん坊だなシンディー」
大人じみたテリーの声が、余計にシンディーをたまらなくさせた。
「…重くないの?」
「俺はドラゴンを運んだこともあるんだぞ」
「疲れない?」
「これでも鍛えてるからな」
「……」
テリーの髪が、服が、オレンジの果汁で汚れるのは忍びなかったが、
それでもシンディーは、彼の肩や髪に触れずにはいられなかった。
「…テリー、今何歳だっけ?」
喉に詰まったような声で尋ねる。
「二十」
「…前にロンガデセオに来たっていうのは?」
「三年…いや、四年前だったかな」
「誰かに会いに来たの?」
「…いや。その頃俺は世界一の剣を探して旅をしていた頃だった。
最強の剣を見つけるためならどこへでも行った。
ロンガデセオは情報の飛び交う街だと聞いていたしな。
そのとき初めて訪れたんだ。知り合いなんていなかった」
「そのとき、私に会ったのを覚えてる?」
「勿論」
「嘘つき」
「嘘じゃない。そういうお前のほうが覚えてないだろ?
あの時もこうやって抱きかかえてやった。案の定、サンドラに焚きつけられてね」
「ふうん。それじゃあ今回は、何の情報を聞きに来たの?」
テリーはシンディーを見、少し思案するように空を見、足元を見た後で、
ふっと自嘲的に笑んで、言った。
「…ちょっと、夢の世界までの道を尋ねに」
テリーの言う通り、以前にもテリーがここロンガデセオへ来たことがあるのを、
シンディーは覚えていなかった。
感覚として残っているのは、男にしては細い腕に抱きかかえられていたということ。
そして、今よりも若干視界が低かったということ。
物心がついたかつかないかくらいの頃のことだったとはいえ、
テリーとの出来事を思い出として胸に残していないことは、非常に惜しく思われた。
「…パパが死んだのは五年前よ」
「……」
「ママは長いこと立ち直れなかったの」
突然父親について語り始めたシンディーに、
テリーは内心戸惑ったが、言うに任せておくことにした。
パンケーキを売っている露店なんてあるだろうか、
リストランテでないと駄目か、などとぼんやり考えながら、あてどもなく歩く。
「…ある剣士に出会うまで、パパ以外の人を愛せるわけがないと思ってたって」
テリーの足が、一瞬、止まった。
熟練の剣士でも、その動揺を完全に隠すことはできなかった。
そんなわけがない、という言葉が口をついて出そうになったが、ぐっとこらえ、
視線をあたりにさ迷わせながら、つとめてパンケーキのことを考えるようにした。
「…テリー、ママのことが好き?」
シンディーは身体を離し、テリーの横顔を見つめて言った。
「シンディー、夕飯にパンケーキは諦めろ」
「ねえ、テリー聞いて」
「大体、夕飯に甘いものなんて」
「聞こえないふりはやめてよ」
「いくら今は大丈夫ったって、そのうちみるみる太って」
「テリー!!」
シンディーは声を張り上げた。
道行く人々が、何事かと振り返るが、すぐにまた前に向き直り、去っていく。
怒鳴り合い、殴り合い、騙し合い、全てが日常茶飯事なのだ。
いちいちそれらの全てに関心の首を擡げてなどいられない。
しまった、というような表情をして、テリーは項垂れた。
「…すまない。辛辣がすぎる態度だった」
それきり、テリーは黙り込んだ。
シンディーも、何かを言おうとしていたはずだったのに、
言葉の行き場を失ったように、口を閉ざした。
空はインクを零したように、すっかり暗くなっていた。
星と月が世界を照らし始めていたが、
街はそんな夜空の光を負かすほどに明るく、賑やかだった。
ただ、この街でテリーとシンディーの二人だけが異質のもののように、
闇に溶け込まんばかりに街に小さな影を落としていた。
「…今でも、“その人”のことが好きなの?」
ぽつりと、震える声で、シンディーが言った。
テリーは、信じられないことを聞いたかのように、鋭い目を見開いてシンディーを見た。
おののく唇が、口にするのを憚る名を言うように、言葉を発した。
「…サンドラから聞いたのか?」
その目の放つ悲しみの色に、シンディーは怯んだが、しかし負けじと声をとがらせた。
「ママより?私より?」
「やめなさい、シンディー」
テリーはかぶりを振り、なだめすかすように言う。
それでもシンディーはやめない。
「“その人”と同じ赤毛のライザより?」
ライザは昼間のシガレットケースのダンサーだ。
テリーは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように、ノー、と繰り返した。
「やめてくれシンディー、こんな話したくない」
テリーは本当に辛そうに、シンディーを抱えていないほうの手で額を覆った。
顔色が悪く見えるのは、月の光が落とす青白い影だけのせいではないだろう。
しかし、彼が辛そうにすればするほど、シンディーは止まらなかった。
彼の“その人”に対する想いの強さを、しかしその想いが報われないかもしれない不毛さを、
全てを憂いているようなその表情が、シンディーを駆り立てた。
「もう何年も会ってないのに?二度と会えないかもしれないのに?」
「いい加減にしろシンディー、怒るぞ!」
弱々しく、ともすれば崩れ落ちてしまいそうなほど脆かったテリーの声が、
怒るぞ、と言った時、初めて荒げられた。
シンディーはびくりと肩を震わせた。
自分の言葉が彼を怒らせたことも、彼が初めて自分を怒鳴ったことも悲しかったが、
それ以上に悲しかったのは、彼の心に“その人”以外の誰かが、
“その人”の占める領域に入り込むことは不可能だと思い知らされたから。
「…どうしても駄目なの?テリー」
辛そうだったのはテリーなのに、気がつくと泣き出していたのはシンディーのほうだった。
彼女の涙を見て、ようやく昂ぶりがおさまったように、
テリーの顔に血色がすうっと戻っていった。
しかし、胸につまる何かを吐き出すように、肩を大きく上下させている。
「ママを愛することはできないの?私たちとずっと一緒にいてくれないの?
みんなあなたが大好きよ、ママも私も、エキドナもライザもビビアンも、ホックだって…」
「シンディー」
テリーはシンディーの頬にキスをして、彼女を抱きしめた。
シンディーもテリーにしがみつく。
「“その人”より、私たちのほうが先にテリーに出会っているのに…
ママは、“その人”より長く、テリーのことを想い続けてきたのに…」
「知ってる、シンディー」
「ここはいいところよ、テリー。夢の世界より、きっと。
ママも“その人”よりずっと、テリーのこと愛してくれる。
テリーだってきっと、ママのことを愛するようになるわ」
「シンディー」
テリーはシンディーを下ろした。
そして、彼女の前に膝をついて、目線を合わせた。
その淡紫の瞳の奥に映っているのは、シンディーではなかった。
ましてサンドラでも、ライザでもない。
燃えるような髪を束ねた、シンディーの知らない、誰か。
「俺は今既に、サンドラを愛してるよ。同じように、シンディーのことも愛してる。
けどその愛は…サンドラがシンディーを愛しているのと同じ種類の、愛なんだ。
俺の言っていることが分かるか?そしてその愛はこれからも変わることはない、何があっても」
強く言い聞かせるように、テリーはシンディーの肩を掴んだ。
シンディーは、分かりたくない、と言いたげに、顔をくしゃくしゃにした。
幼いシンディーにも、彼が何を言わんとしているか、理解できた。
彼が“その人”について一切触れないのは、彼なりの気遣いなのか、
それとも言葉にしたくないだけなのか―――
テリーはシンディーの額と頬と鼻にキスをすると、再び彼女を抱きしめた。より強く。
シンディーもそれに応えるように抱きしめ返す。嗚咽を漏らしながら。
「マイスイート、シンディー。君は俺のパンケーキで、チョコレートで、クリームパフだ。
いつまでも、俺の大事な娘だよ」
そう、サンドラがいつもシンディーに言って聞かせるように、愛の言葉を囁いた。
母に毎日のように聞かせられている言葉なのに、
彼が言うと妙にキザったらしく聞こえて、シンディーは笑った。
泣きながら笑った。テリーも笑っていた。
to be continued.
20080916
ブラウザバック