Unfinished









ぱちぱちと、炎がはぜる。
冷たく湿った地面に腰を下ろし、辺りにゆらゆらと映り込む明かりと熱気に目を細めながら、
彼は照り返しでオレンジ色に染まった数枚の羊皮紙を眺めていた。





リーダーは相変わらず帝王学のお勉強。
そういえばいつも、自分は頭より腕に自信があるのにとこぼしていた。
歳は上な癖にいささか子供じみた振る舞いをすることもあったが、幸い親と家臣には恵まれている。
きっと皆に愛される、いい王になることだろう。

見事な巨躯の男は、呆気ないほど簡単に家業を継いだ。
平和な時代に必要なのは武闘家より大工だなどともっともらしい事を言っていたが、何か思うところがあったのだろう。
現在は仕事と親孝行に精を出しているらしい。

小柄な眼鏡の少年は今でも修行中だとのこと。
平和になろうがなるまいが、彼らは穏やかに人を癒していくのだろう。
まだ若い身を勿体無くも感じるのだが、それが道ならばそれでいい。

そして文末にはいつも同じ神経質な右肩上がりの細い字で、彼の身を案じる短い言葉。
それにざっと目を通し、彼はくすりと笑った。


 「はいはい、俺も愛してるよ」


几帳面に届けられる手紙はそれぞれの道を歩み始めた彼等の様子を逐一報告してくれる。
ただその中に、一人だけが見当たらない。

姉からの手紙を懐にしまい、彼はじっと前を見る。
ちらちらと踊る火の粉に目が痛んでも、それすらも求めるように彼は炎を、そしてその向こうの彼方を見つめた。










世の中は平和になったらしい。

これで安心して暮らせる、もう怯えずに済む。
いったい何度そんな言葉を聞かされたことだろう。
そんな言葉のひとつひとつに彼の心は研ぎ澄まされていった。

怯えることと祈ることしか出来ずに茫漠と過ごす人々。
そんな彼等を救った為の代償は、彼にはあまりにも高すぎた。



闇の支配が終わると同時に、すべては本来の位置を取り戻す。
捻じ曲げられた世界の中でふと繋がった小さな手すらも、無慈悲に。



考えてはいけないと思いながらも思考は一点を彷徨う。
もしこうなると知っていたら、自分は世界平和とやらの為に協力しただろうか。










不意に後ろについた手の甲にぷにぷにとした感触が走り、物思いはそこで途切れた。
その身に表現出来る限りの心配そうな表情で顔を覗き込んできた一匹の魔物に、彼は苦笑してみせる。


 「悪かったよ、ピエール」


座った彼のやっと胸元までしかないスライムナイトは、
自分の存在をアピールするようにふるふるとゼリー状の体を揺らす。
その上に乗った甲冑はごく普通の金属製に見えるのだが、下半身の動きにも音は立たなかった。

何故か自分達に付いてきたこの魔物は、過去の因縁でもあるのだろうか、不思議と彼に懐いた。
自分を慕うピエールをそうそう邪険にも出来ず連れ歩くうちに、
彼がここに潜った際にもこっそり後を追ってきて、結果的にピエールは彼と外界との連絡員の地位を得ていた。

最後に残された闇の気配のする洞窟。
更に深部へと潜る前の、唯一の安息所。
小さな泉が湧き出たそこを中継地点に定めて彼は少しずつ奥へと足を踏み入れ、
ピエールは定期的に食料と手紙を持って現れた。


 「姉さんによろしくな」


いつも通り、手紙の入っていた封筒に走り書きで署名をしてピエールに託す。
心得たという風に抜け殻の鎧の頭部を前後に揺らして、
ピエールは手甲の下に不器用に、しかし大切そうに封筒を握りしめた。


 「じゃあ、また」


呪によって薄れていく姿に、生きていたらな、と付け加えようとして彼は口をつぐんだ。
けれども相手には分かったのだろう、
半透明な体の大きな目を更に大きく見開いて、小さなその姿は溶けるように消えていった。










しばらくその場を眺めていた彼は、さてと、と息をつき、傍らに置いた剣の点検に戻った。
血糊をぼろ布で丁寧に拭い、刃の表面に自分を映して滑らかな輝きを確かめる。
柄に巻いた革は以前使っていたものには及ばなかったが、それでもようやく彼の手に馴染み始めていた。
自分には上品すぎたあの剣は持ち主に返し、今携えているのは最高の硬度を誇る魔物と同等の強度とも、
その魔物を材料として鍛え上げられたともいわれている曰くつきの逸品。
こちらの方が今の自分には相応しかった。



全てが正常に戻った後、胸にぽっかりと空いた穴を持て余し、彼は再び世界を彷徨った。
同じ想いを味わったはずの仲間達も彼のその穴の深さに驚くばかりで、掛けるべき言葉もなく、
ただただ成り行きを見守るだけだった。

そんな折耳にした魔王を超える存在と、それを従えようとして朽ちた城。
たしか仲間達が話していたはずと尋ねてみても、その勢いにか目の色にか、彼等は示し合わせたように口をつぐんだ。
それでも以前話半分で聞いた記憶と噂話、そして闇を求める自分の感覚を頼りに彼はここまで辿り着いた。

じめじめと湿っぽく今にも崩れそうな薄暗い空間と、辺り一面にただよう生臭い魔物の血の匂い。
いつからかそれにも慣れ、吐き気を催さないどころかその中で平然と食事を摂り、眠れるまでになっていた。

安穏とした部屋の暖かいベッドより、こちらの方がよほど肌に合う。
結局自分はこんな風にしか生きられない。
刃を砥ぎ、己を研ぎ、荒れ狂う力の中に身を置いてしか。





そこで、唐突に彼は立ち上がった。
血と肉を求めて彷徨う者の気配を感じて。

熾火を踏み消し、ぱちりぱちりと簡素な防具の留め金を嵌めるうちに暗がりからのそりと異形の姿が現れる。
誰が遺した魔力か、淡く無気味に発光する壁に照らし出されたのは岩盤の様な紅の鱗と巨大な戦斧を持ったドラゴンだった。
彼をみとめ、驚喜と威嚇の咆哮を繰り返すその姿にも彼は動じない。

死の予感は常に寄り添うように身近にあったが、恐怖は感じなかった。
乗り越えたのだろうか、それとも麻痺してしまったのだろうか。
どちらでも大した違いは無く、握りしめた剣を一振りして彼はにっこりと笑った。


 「さあ、遊ぼうか」










進んでは殺し、殺しては進み。
そうしてどれほど過ぎただろう。

突如闇の中に現れた扉に頬がぴくりと震え、乾いてこびり付いた血がひび割れる。
金属のような岩盤のような、同時に生き物のようなその感触を撫で、
ほんの少し力を込めると、それに呼応するように扉はすうっと開いた。

不自然に広がる部屋の一面に広がる魔方陣と、中央に配置された供物を奉げる為の祭壇。
間違いない、この場所だ。



急に濃厚になった闇の気配に肌が粟立ち、意識が冷たく澄んでいく。
今まで感じたどれよりも強いその気配に自然と唇がほころんだ。

滅ぼされた城の連中は、こんな奴を従えられると本気で思っていたんだろうか。
所詮は食うか食われるか。
信じられるものは力しかないのに。



ゆっくりと、目の前に浮かんだ黒い霞がぼんやりとした影を形作っていく。
その姿はどこかかつての闇の主に似ていた。

悪夢の王。
破壊と殺戮の化身。
その神にも等しい圧倒的な力なら、もう一度世界を歪めることが出来るかもしれない。
望みへと繋がるただひとつの道。





彼女にもう一度会えるなら、他はすべてどうでもよかった。
たとえそこが此の世でも、彼の世でも。





その崇高なまでの禍々しさにいっそ愛しげに、彼はそっと囁いた。


 「戦ろうぜ、神様」









fin.
20091216




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