心だけの存在―――


「悲しすぎます」


そう呟いたチャモロの幼い輪郭が痛々しく歪む。


漠然と気が付いていた。
けれど、レナートやハッサンのように、いつか自分も実体を見つけるのだと、そう思っていた。
いや、願っていた、のかもしれない。薄々と残酷な現実に向かっていくのを感じながら。

眉を顰め思案顔のレナートの隣に立つ、彼より一回り小柄な少年の姿を、バーバラは思わず横見した。
冷血漢を装う彼のポーカーフェイスは、チャモロとは違いぴくりとも歪まない。
胸がずきんと痛んだ。しかし、その痛みの中にかすかな安堵も感じていた。
彼があからさまな悲しみを見せたら、きっとたまらなくなってしまう。


これ以上彼に落ちてゆくわけにはいかない―――


現実を知ったとき、バーバラはひそかにそう心に決めていた。









やさしくしないで









朱色と紫紺の合間に星々が瞬き始める、夕暮れと夜の間。
戦士に転職したばかりのバーバラの修行に気まぐれで付き合い始めたテリー。
それがいつの日からか、二人の日課になっていた。
野宿の支度を始める仲間たちから離れて過ごす、毎日の、短い二人きりの時間。


「あっ」


雷鳴の剣が奇跡の剣の先を弾くと、それはいとも容易くバーバラの手を離れてしまう。


「………」


軽くため息をつくと、バーバラは気だるい仕草で、あさっての方角に飛んで行った奇跡の剣を取りに歩く。
テリーはそれを休憩の合図とばかりに、どかりと胡坐をかいた。


「ちっとも上達しない。どうして?毎日稽古つけてもらってるのに」


口を尖らせながら戻ってきたバーバラに、テリーは薄く苦笑いを浮かべた。
笑うことが苦手らしい彼が最近見せ始めた、優しい表情。


「俺も独学だしな、第一バーバラは元々魔女だろう。
 剣の扱いが俺やレナより不得手なのは仕方ないんじゃないか」

「そうかもしれないけど…」


先ほどのものより重い息をついて、バーバラはテリーの隣に腰を下ろす。
その拍子に、バーバラの左手の指先が、テリーの青い手袋越しの指先に触れた。

バーバラははっとして、手を離そうとして、やめた。
テリーもその手を不自然にどかそうとはしない。
かといって、その小さな手を握ろうともしない。

バーバラは、ふと、ある夜のことを思い出した。


夢の世界のライフコッドで、ターニアの家に滞在した夜。
実際には血は繋がっていないとはいえ、レナートは彼女を本当の妹同然に可愛がっていた。
はざまの世界に足を踏み入れたらいつ戻ってこれるかもわからなかった。
二人に兄妹水入らずの時間をやるために、
仲間たちはライフコッドの村の中を方々に散って行った。

山間の道を歩いてくると言ったテリーにバーバラがついて行き、
ハッサンとアモスはパブへ、青い人間についていくと駄々をこねたドランゴをミレーユがなんとか宥め、
チャモロ含める二人と一匹は村長宅の奥にある高台で星を眺めながら雑談に耽ることにした。

旅の合間に度々寄っていたライフコッドであったが、テリーには初めての訪問だった。
剣と剣技以外には食指をそそられないように見えるテリーにも、
彼にとっては未知のものであった夢の世界は興味深かったようだった。

無言の時間が多かった。無口なテリーにバーバラが合わせていた。
おしゃべり好きの自分が無理に彼から話題を引き出そうとしなかったのは、
あの静かな時間を楽しんでいたというよりは、自分も緊張していたからかもしれない。
これって一応デートになるのかな、とバーバラは思った。

思えば、あの時、テリーに首ったけのドランゴが一緒に行くと言ってきかなかったのも、
そんなドランゴを必死でミレーユが止めようとしたのも、
剣士と魔女の間に何かを察したからなのかもしれなかった。

女の子ってやっぱり鋭いな、とバーバラは夜の闇に隠れているだろう、自身の赤く染まった頬を思った。
足を踏み外さないようにと、テリーが手を握ってきたのだ。
あの時のあの手は優しさだったのか、下心だったのか。

方々で耳にした彼の噂。
恋に恋する少女たちは誰でも、彼に憧れずにはいられなかった。
自分もそんな彼女たちのうちの一人。
いわゆる、One of his favorite girls.

彼のことを好きなのか、それとも恋に恋しているだけなのか、まだ分かっていなかった。
分かりたくなかっただけなのかもしれない。
大魔王を倒すという大義名分があるのに、恋に現抜かしている場合ではなかった。
この旅が終わればもう会えなくなることにも、気付きつつあった。
好きになっても離れなければならないなら、仲間という垣根を永遠に越えたくなかった。


でも、あの夜から、確実に何かが変わってしまった。
友達?そうだけど、それだけじゃない。
恋人?それは違う気がする――

けれど、やさしくされる度、彼の新しい表情を発見する度、彼に落ちていく自分を感じていた。


彼のことを好きになってしまう女の子たちも、きっと私と同じように恋に落ちていくんだろう、
なんて少し卑屈なことを考える。


あの夜以来手を握ろうともしないのは、彼にとってあの夜は何の意味もなかったからなのか、
彼も同じように、離れると分かっているのに深入りはできないと思っているのか。
それとも、


「何ぼーっとしてるんだよ」


黙りこくったバーバラに、テリーが呆れたように声をかけた。
はっとして顔をあげると、バーバラは笑って、なんでもないと首を振る。
なんだよそれ、とテリーは笑う。


「ま、お前は単純だから大体何考えてんのかなんて分かるよ」


そう言ってテリーはバーバラの頭をぽんと叩いた。
そして意味深に、ゆっくりと離れていくその手。

バーバラは唇を噛み締めた。けれど堪え切れずに涙は大きな両の瞳からぽろぽろと零れ落ちる。
テリーはあらかじめそれを察していたかのように、うろたえもせず、
ただ少し困った顔をして、ぎゅっとバーバラの頬をつねった。
小さな痛みに、バーバラは顔を歪めた。
違う、痛みのせいじゃない。彼がこうやって触れてくるのが―――


「泣くなよ、疾風突きが覚えられないくらいで」


マダンテなんて俺が死ぬほど修行したって泣いて喚いたって継承できないんだぞ、とテリーが言うと、
泣いて喚いて駄々をこねている彼を想像して、バーバラは思わず吹き出した。



テリー、分かってないよ。あなた私のこと何も分かってない。
私はそんなことで泣いたりなんかしない。



離れると分かってるからもう手も握らないのか、なんとも思っていないからそうしないのか。
愛してほしい。でもこれ以上好きになんて、つらすぎてなれない。



だからもう、やさしくしないで。









fin.
20100517




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