アルゴス









広い廊下を歩いている。
右手の大理石の柱の向こうは、眼下に大地を臨む。

ぼんやりと考え事をしていたら、自分がどこに向かっていたのかを、ふと忘れてしまった。
少し立ち止まって、考え込んでみる。
…そうだ、自分の部屋だ。
にしても、ここはどこだったか。
ヘルクラウド城に来て数週間。広い城内には未だ慣れずにいた。

おそらく、このまま直進すればたどり着くだろう。
長年の一人旅で身に付けた直感が、テリーにそう告げた。

ふと、前方から誰かがこちらに向かって歩いているのが見えてきた。
テリーは一瞬、眉を顰めた。
(その誰かは明らかに人間だったが、ここに自分以外の人間が来たという話は聞いていないからだ。)
そして、その人間の姿を見て、テリーはなおのこと眉根を寄せる。

その人間は、テリーと瓜二つの姿をしていた。


―――鏡?こんなところにそんなものがあっただろうか。


そうテリーがいぶかしむのとほぼ同時に、鏡のテリーが、にやりと笑った。
そこでようやく、テリーははっと気がついた。

鏡のテリーはそのまま、曲がり角の向こうに姿を消した。


―――ホーンテッドミラーか。


近頃、この城にいる人間を珍しがってか、疎ましがってか、
魔物たちによるくだらない悪戯や陰口に、テリーは相次いで被害を被っていた。
テリーは苛立ちを含んだため息をつき、再び歩き始める。
曲がり角の前に差し掛かると、やはりそこにはホーンテッドミラーと、
邪心像、サイレスがたむろしていた。

彼らは通りかかったテリーを見て意味深ににやついていたが、
当のテリーは無視をして通り過ぎようとする。
すると、かつん、と足元に何かが転がってきた。
危うく蹴飛ばしそうになったそれは、ホーンテッドミラーの手…にあたるものだった。

テリーは鼻を鳴らすと、それを跨いで避けようとした。


「とれよ」


すると、サイレスがそう言った。
テリーは三匹をきつく睨みつけ、またも無視を決め込もうとする。


「とれって言ってんだよぉ」


すると今度は邪心像が、からかうような声色でそう言った。

テリーは三匹をそれぞれ、ゆっくりと振り返り、
にっこりと不自然なほどにほほ笑むと、ふっと元の無表情に戻り、
ホーンテッドミラーの手を、これでもかというほどの力で踏みつけた。

ホーンテッドミラーは、たまらず空気をつんざくほどの叫び声をあげた。
サイレスが慌てて手を取り返そうとテリーの足元に駆け寄ると、
テリーはその白骨の手を、思い切り右方向に蹴飛ばした。
手は、がつんと柱にぶつかると、遥か下界へと落ちて行った。

ホーンテッドミラーは金切り声をあげて泣きながら、手を追いかけていこうとした。
が、絶望的な高度から臨む大地を前にしては、当たり前だが彼の手は見つけられない。


「取りたきゃ自分で取りにいけよ」


テリーはそう蔑むように言うと、今度こそ立ち去ろうとする。


「待てよ」


いつの間にかテリーの前に立ちはだかっていた邪心像が、低い声で威嚇する。
邪悪な石像の目玉のない目が、まっすぐにテリーを見据えていた。
テリーはうんざりして、邪心像をかわそうとする、が、
邪心像は先に回り込んで、そうはさせようとしない。
テリーは諦めて、今度は立ち去ろうとせず、ただ顔を近づけてくるその魔物から目を背けるだけにした。

「いい気になるなよ。デュラン様は人間のおまえがこちら側に来たのを珍しがっているだけだ」


テリーの耳元で、そう低い声で囁く。
テリーは目だけあさっての方向を見ながら、興味なさそうにしている。


「ただの人間だったら目をかけてもらうこともなかっただろうよ」

「何が言いたい」


テリーは疲れたように息をつき、今度はきっと邪心像を見据えた。
目玉のない瞳にはただ暗闇が続くばかりで、テリーの姿は映っていない。


「まぁ、これを見てみろよ」


サイレスが、まだ下界を見つめてキィキィ泣いているホーンテッドミラーの頭を叩いて、
その薄っぺらい身体をテリーと邪心像の前に引きずり出した。
ぐずぐず言う鏡の魔物の胴体をサイレスが三本の指でノックすると、
そこには幼い姉弟らしき二人が映し出された。
彼らはどこかの海辺にいるらしい。楽しそうに砂遊びをしていた。

全く見覚えのない二人に、テリーは怪訝そうに眉を顰める。


「おまえ、この二人を殺せるか」


石の動かない顔のかわりに声だけで笑うようにして、邪心像はそう言った。
テリーの両の目が、かっと見開かれた。

殺す?こんな幼い子供を?


「魂を俺たち魔物に売ったのなら、それくらいのことはできるはずだろう?」


サイレスは邪心像よりも更に低い、地響きのような声でそう言った。
テリーは握りこぶしをつくり、瞼をふせった。


「馬鹿げてる」


そう、声が震えるのを抑えながら言うので精いっぱいだった。


「こんな力のない子供たちを、何故わざわざ殺す必要がある」

「脅威の芽は早めに摘んでおくことだ。どうせ人間どもは滅びる運命なのだからな」


サイレスはデュラン配下の低級魔族であるにも関わらず、威圧的にそう言った。


「…馬鹿げている」


テリーはもう一度そう言い、邪心像の肩を力任せに押しのけた。


「何故俺がお前ら低級魔族の仕事を手伝うような真似しなきゃならないんだ。
 そんなに殺したいならお前たちでやればいいだろう」


そう乱暴に言い放つと、ホーンテッドミラーを爪先で力任せに蹴りつけた。
ばりん、と鏡の胴体が割れ、そこに映し出されていた姉弟の姿は消えた。

背後では断末魔の叫びと、テリーをいつまでも追う二つの視線があった。
たとえその叫びと視線に魂を呪われようとも、


殺せなかった。

あれは自分が望んで手に入らなかった、姉弟の姿であった。







「今日はやけにおとなしいな」


玉座の肘かけに腰かけているテリーの頬を、魔王デュランは爪の背で撫でた。
テリーはそれを避けるように頭を振ると、もともとお喋りなつもりはない、と素っ気なく言った。
テリーの機嫌の悪さを察し―――あるいは、その機嫌の悪さの“原因”を察して。
デュランはテリーを愛でる手を引き、自身の膝の上に置いた。


「…ホーンテッドミラーを手にかけたそうだな」

「…それが何だ」


どういう奴らが自分の部下かすら、ろくに把握していないくせに。
テリーはそのことを知っていたから、あえて頭を下げるような真似はしなかった。

デュランは、ちらと横目にテリーを見ると、ふ、と子供の悪戯を見た親のような、
愛しげな、そしてどこか呆れたような笑いをもらした。

テリーの腰かけているほうとは逆のほうの肘かけの隣にある、
背の高い丸テーブルの上の葡萄のひと房からふた粒を手にとる。
それを手中で弄びながら、デュランはゆったりと口を開いた。


「あの姉弟ならば、死んだぞ」


テリーの顔面が蒼白になった。

この城の主、デュランは、すべてを知っていたのだ。


「邪心像とサイレスがやった。それをできなかったお前の代わりに、と奴らは言っていたがな」


デュランの手中でふた粒の果実が爆ぜた。
テリーはこの肘かけから飛び降りたいという衝動に駆られたが、身体はまるで動こうとしない。
あの姉弟が死んだ。あの二人を殺せなかったのをデュランは知っている。
もし、あれが本当に魔族として認められる最後の試練だったのだとしたなら。


間違いなく不合格だ。殺される。


テリーの小刻みな身体の震えを感じ取ってか、デュランは支配者の笑みを浮かべ、再び爪の背でテリーの頬を撫でた。


「なに、おまえが気に病むことはない。雑用は奴らの仕事だ。
 奴らに逆らったお前に咎は無い。お前は私の傍で、勇者よりも強くなることだけを考えていれば良いのだ」


―――強くなること。


そうだ。姉を奪われたあの日、何よりも強くなることを心に誓ったのだ。


昨日、あの二匹をも手にかけていたのなら、あの姉弟は助かっていたのだろうか。
自分に、もっと力があったのならば。


まだまだ、足りない。
力がほしい。
そのためならば。



「…はい。この命、この力、すべてデュラン様のもの」



デュランは満足げに笑み、人間の背丈ほどもある腕を、テリーの身体にまわした。




利用できるものは何でも、利用してやる。









fin.
20100831




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